見出し画像

病気とつきあう(12)障がいを持ち知ったこと その1

2019年暮れに脳出血に見舞われた。半年間入院し退院して3年以上経つ。そこから始まった心身の変化がいまの生活や行動に大きな影響を及ぼしている。3年ひと区切りで、病を得て何を感じたか、何が変わったか、セルフドキュメントとして、少しずつ書いている。闘病記ではないが、同病の方や介護や医療に携わる方の参考に少しでもなればと思う。

脳出血後遺症で身体障害3級に認定されている。障害者になり、来し方の反省を含め気づかされたことがたくさんあった。障害を持って初めて知ることになった健康時とのギャップ、日常生活上の感慨や身勝手な本音もお伝えしたい。


エレベーターが遅くてよかった

歩行が不自由になって路面のわずかな段差や傾斜、小さな障害物や冬の雪や凍結、天候(特に強風)もとても気になるし、気を使う。

職場のエレベーターはすごく遅くて、病気前にはほとんど乗らず階段を使っていた。リハビリで階段昇降の訓練もずいぶんしたが、実際階段を使うと時間はかかるし、体がしんどいので結局エレベーターを頼ってしまう。そんな自分には遅すぎるくらいのエレベーターはありがたかった。ドアの開閉のタイミングもゆったりでぎりぎりで乗り込みたい自分をエレベーターの方が待ってくれている気がした。

ロードヒーティングのありがたさ

私の住む地域は寒冷地で雪が多く、冬は繁華街や人通りの多いところでは積雪・凍結路面を融かすロードヒーティングが作動している歩道が多い。

職場では例年冬に建物前の舗道のロードヒーティングをしていた。雪が少ないとき、歩道の雪が融けて湯気が立ち上っていることがよくあって、私は経費節減のためロードヒーティングの縮小や廃止を提起したことがあった。自分の体が不自由になったいま、その意見が自己本位で弱者の視点に全く立っていなかったことに気づかされた。いまの自分はロードヒーティングがないと転ぶのが怖くて冬道は歩けない。

当事者にならないとわからない!

世の中には当事者になって実際に経験しないとわからないことがたくさんあるようだ。身に染みて知ったのは健康だったときの自分の奢り、弱者への思いやりと共感力の欠落だった。過去の自分に憤慨した。

過去の自分が仮想敵

歩くことや着替えること等々、以前なら無意識に簡単にできていたことが難しくなり、時間がかかりその都度イライラする。無意識に簡単にできることが普通だと思い込んでいた自分に気づく。amazarashiの曲にあるが「昔の自分が仮想敵」だ、いろんな意味で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?