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病気とつきあう(13)障がいを持ち知ったこと その2

2019年暮れに脳出血を発症、後遺症で身体障害に認定されている(現在3級)。障害を持ったことで、気づかされたことがたくさんあった。障害者となって初めて知ることになった日常生活でのちょっとした感慨や身勝手な本音をお伝えしたい。

杖をついて歩いていると周囲の人が気を遣ってくれる。地下鉄やバスでの公共交通通勤ができなくなり、市街地を歩くことはほぼなくなったが、職場内をよたよた歩いていると顔見知りも多いのでなおさら気を遣われる。とてもありがたいのだがいいことばかりではない。

先を譲られ困ってしまう

例えば。。建物や部屋に出入りするときやエレベーター待ちでドアが開き乗り込むときなど、「どうぞ先に行ってください」とばかりよく道を譲られる。これ、けっこう困る。こちらはとっさに機敏に動けないし、急がないといけない気持ちになり大いに焦る。
本音はほかの人たちが動き終わったあとにゆっくり自分のペースで移動したいのだ。「いいから貴方がお先にどうぞ」と声に出したり、杖で指し示したりもするのだが、中には頑強に私が動くまで動こうとしない方もいる。ため息が出てしまう。


エレベーターの「開延長」に困惑

エレベーターには乗降に時間がかかるときに使われる「開延長ボタン」がある。降りる人がこれから乗ろうとしている私の姿を見て、親切心で開延長ボタンを押してくれることがよくある。「ありがとうございます」とお礼を言いつつも、内心では「必要ないんだけど」とつぶやく。実際は開延長しなくても乗れることが多いし、乗り込んでから体を反転させて開延長を解除するのがひと苦労だったりする。
他人の厚意をふみにじるようで、われながらホントに心が狭くて身勝手だと思う。でもそういう気持ちになってしまうのを止められない。身体的余裕がないと心の余裕も生まれないのかもしれない。


あいさつや声かけに反応できない

「おはようございます、こんにちは、お疲れさまです、お先に失礼します」職場では毎日たくさんの挨拶や声掛けが交わされる。挨拶の交換は気持ちのいいものだ。困るのは、横や後ろから声を掛けられたときに、うまく対応できなくなったことだ。
声が聞こえても顔や体の向きを機敏に変えられないし、頭を急に動かすとふらつくので声の主に相対できない。結果、声をかけてくれたのが誰なのか、自分に対して言ってたのか、わからないのだ。聞こえなかったふりをして流すことが多くなった。挨拶したのに無視した、と思われてるのだろうが、今のところどうすることもできない。
こんなことがあろうとは健康なときには想像もしていなかった。残念なことだ。

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