バグを許さないという風潮について

とあるツイートが目に入ったので、書きます。
一意見として見てもらえると嬉しいです。

該当ツイートは下記になります。

 前半を要約すると、
「日本が成長するためにはバグを妥協していきましょうねー」
「不良品掴まされてもあとで直ることを願って、そのまま使いましょうねー」
 ってことでしょう。
 少なくとも、私にはそのように読み取れました。

 後半は
「みんなで協力しましょうって言ってるのに、協力せずお客さんとして参加するのはなんで?」
ということでしょう。こちらは同感できるので、割愛します。

 さて、これを読んだ時、思わず「はぁ?」と声が出てしまいました。

「バグを許さないという風潮は、製品を作るにあたって当然の姿勢であり、全員がそれを目指すべきである。」
 これが私の意見です。日本が辞めるのではなく、ものづくりにおいて、世界中がこれを目指すべきだと考えます。
 簡潔に答えたところで、詳細を書いていきましょう。

 本ツイートにおける前半部分
「日本はバグを許さないという風潮を直すべきである」
なにを考えているのか、私には理解できません。
 日本が成長した理由、日本の製品が良いと言われる理由は、正確であること、これは何に対しても言えることでしょう。
 不良品を良しとせず、期限内に、より良いものをお客様に提供できるようにする。
 これは製品を作る上で当然のことではないでしょうか?
 もちろんソフトウェアは日々進歩しており、より良いものが驚くような勢いで開発されています。
 しかし、だからと言って、バグを容認してもいいのでしょうか?

 手始めに、このツイート前半を実際の物に置き換えてみましょう。
「不良品を許さない。1つでも入っていてはいけないっていう考えを止めないと、日本はこれからちょっときびしいな……」
 現物において、耐久性が高く、細かなメンテナンスを必要とせず、正確であること、値段やデザインが同じであれば、よりこの要素が強いものを選ぶ人が大半かと思います。
 もちろん最初からそのような物が出来るとは限りませんが、製作段階で改善できる点は多く見つかることでしょう。
 不良品や壊れやすいものをつかまされれば、買い替えや返品、交換、メーカーの対応を希望するのは当然のことです。

 皆さんがよく使うスマホ、次はこれに例えてみましょう。
 スマホには電子部品やプログラムが多く使用されています。

 電子部品が壊れていれば、
・通話をしている最中に切れる。
・調べ物をしている時に、ネットワークとの接続が切れる。

 プログラムにバグがあれば、
・通話時に赤の他人につながる
・ネットワーク上に個人情報が漏洩する。

 このような危険性が大いにあります。
 とあるゲームのアップデートでは、バグによってインストールしたパソコンのCドライブ(OS等の使う上でなくてはならないデータが入っている場所)のデータがすべて消える。という事件が起こりました。
 バグは危険であり、本来あってはならないものなのです。

 しかし、複雑なプログラムを組んでいれば、バグはどこかに発生します。
 むしろバグのないプログラムを探す方が難しいものです。
 バグの語源、元来はコンピュータ、それも今のような小型のものではなく1部屋すべてを使ってようやくプログラムを動かしていたような時代に、虫が入って誤作動を起こしたことで使用されるようになったと言われています。
 現代は虫が入っても関係ありませんが、スペルミスや勘違い、置き間違えといった、ちょっとしたミスは発生します。それが現在のバグの原因です。
 人が作っているのですから、直さなければ発生するものとして扱わねばならないでしょう。

 試作品やテスト機においても、それらを修正するために作り、運用するのです。

 以上の理由から、バグを容認するにしても程度は存在します。
 しかし、騒がれるバグ、というのは
・表面的な動作における致命的なバグ
・正しい使い方をしている間に起こるバグ
・頻発するバグ
の3点です。
 これらがなければ、おおよそは問題ないものといえるでしょう。
 すべてある程度のバグ取りを行えば、なくなるはずのものです。

 バグだらけスペシャルの名前が付いたポケモンBDSP(ブリリアントダイヤモンドシャイニングパール)は、下2つがあったことも、当初から「バグが酷い」といわれる要因でしょう。
 もっとも他のバグも多かったですが、ストーリー進行中に停止したり、通常プレイ中に発生するバグによってリセットを余儀なくされるといった状況がありました。
 BDSPではストーリー進行中のバグは想像できたものや、通しでプレイすれば見つかったであろうものもありました。まさにバグ取りを十分に行っていない結果ともいえるでしょう。

 私の経験した物では、サブスクリプションにて使用している動画編集ソフトでも、切り貼りのみの作品で出力時にバグが発生し、何度も停止する。というものがありました。(現在も治っていないため、買い切りで購入した別会社のソフトを主に使用しています。)

 これらのバグは、正しい動作を行えない、いわば不良品です。
 このような物を販売してもいいというのでしょうか?試作機のような不良品を、後から直せるからと言って売るのではなく、販売できるレベルまで補正した製品を売ってほしいと願うのはおかしなことなのでしょうか?

 バグ取りには時間とお金がかかります。相性や状況といった不安定な物を揃え、何度も繰り返さなければならないからです。
 お金を取らない無料版や、バグを取ってないことを周知したうえで提供するテスト版は、バグを前提として使用しても許せるでしょう。なにせ試作品であることを公言し、お金のかかる部分を他に任せる代わりに、早く使える、安く使えるというものなのですから。
 しかし、製品として売り出したものに対して、見つかった後で治せばいいやと取る前に発売してしまえば、不名誉な評価が下るのは想像に難くないでしょう。製品であり、試作品やテスト版ではないのに、買ってもまともに使えないものを誰が欲しがるでしょうか。
 よって最低限のバグ取りは必須であり、完璧な物はないとしても、販売するのであれば最低限の動作は保証されるべきである。という意見でした。

   蛇足
 昔は良かった。とはよく聞きますが、サブスクや自動アップデートができるようになってから、優先度が製品の出来栄え<販売速度になった気がします。修正できなかった物は1つのバグが致命傷になることもあるために、しっかりとバグ取りを行っていたのでしょう。「製品」でありバグがあることは恥ずかしい、という認識が通っていました。しかし、現代ではツイートのようにバグを容認することを客に求める、「不良品」でも許してね。と平然と言うようになっているということです。技術が進歩したとしても、人の価値観が劣化し、より良いものを求めなくなっては、本末転倒ではないでしょうか?

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