『残陽』に見る希望


◆はじめに

「これ、読む人いるのか?」と不安になりながらも文章書いてますが、残陽が暗くて少し参ってしまった……としょんぼりしてしまった自分のような人に届くと良いな、という気持ちで書いてます。
他の方の素晴らしい歌詞解釈を否定せずそのまま受けつつ、この曲に希望を見出すことがこのnoteの狙いです!

◆残陽の考察について(参考note)

スリーズブーケの残陽、今までの楽曲とうってかわって物憂げな暗い雰囲気と意味深な歌詞……とっても考察しがいがありますよね!
自分もあれこれ考えてた矢先、とても読み応えのある考察に出会いました。

※人によっては辛い解釈かもなのでご注意ください…ただ、このnoteは考察の解釈そのままに、その辛さを解消するために書いてます

とても衝撃を受け、的を得ているなと思いました。そして激しく心をかき乱されました。あの仲睦まじいスリーズブーケに待ち受ける未来が、こんな悲しいものなのか?梢先輩も花帆さんも、そんなこと思わなくない?でもそう歌っているし……と、混乱しました。考察内容を否定したいのではなく、正しいと思う故の辛さ、受け入れ難さです。いっそのこと、残陽は伝統曲ってことにならないか…?と思ったくらいです。
(こずかほ推し、残陽聴いてよく平気で居られるな⁉と思いました…平気じゃないのかもしれませんが)

◆ライブで披露された意味

歌詞の解釈は存分に納得してしまったので、ここで観点を変えて「なぜ、この曲を披露したのか?できたのか?」ということを考えました。

ライブパフォーマンスをするうえで、スリーズブーケの2人が楽曲の解釈を共有しない、なんてことは無いと考えられます。なので当然、楽曲に込めた想いも打ち明けている……と考えられます。

「梢先輩、打ち明けなさそう……」とお思いの方もいると思いますが、自分がきちんと伝えたと思うのは撫子祭の一件があったからです。
梢先輩は撫子祭を通じて、相手に本音を伝えることの大切さを痛感しているからです。そして花帆さんは梢先輩が決して完璧ではないことを受け止めており、そして何より2人の信頼関係を信じているからです。

そもそもこの曲を生み出せたこと自体、梢先輩がネガティブな想いも形にできたということに他なりません。昨年、色々な想いを独りため込んで沈んでいったあの梢先輩が、です。良い変化と捉えるべきかと。

そしてこの曲をスリーズブーケの2人で歌い踊り表現したということは、そのネガティブな想いも2人で共有しパフォーマンスとして昇華させた、と捉えております。曲に込められた想いは仄暗く重苦しいけれども、それを披露できているということは既に後ろめたい想いではないということ。これはかなり希望に満ちた解釈だと考えています。

◆最後に

残陽の解釈が刺さってしまい「残陽聴きたくない…つらい…」となったのですが、めげずにあれこれ考えて何とか消化し、その勢いのままnoteに登録し文章を書きました。粗だらけだけど誰かの救いになれば幸いです。
そして、こんなに心を乱される蓮ノ空スクールアイドルクラブ、恐ろしいコンテンツです……大好き。これからも精一杯応援します。

◆おまけ

お二人の考察を読むまで、本気で下記のように考えておりました。
つづこずのオタクなので……
これを読んで「ありえん」と笑って明るい気持ちになって締めてくれると少し報われます。

残陽について、この曲Tragic Dropsのアンサーソングの側面があるのでは?と思ってしまう。両方とも夕日の中で日の当たる方に君を求めて手を伸ばすので…


まず「遠くに ねぇ遠くに 行かないでよ なんてね ごめんね やめておこう」が去年の梢先輩をとても想起させる。梢先輩が憧れという単語を使うのは伝説のスクールアイドルか、綴理先輩と慈先輩のみ。遠くに行かないでと願って言えなかったのは綴理先輩に対してなので…(慈先輩に対しては"待っていた")

そして「すっかり忘れた落とし物にはっきり形を与えられてしまったら辛いだけだ」も、過去のこととして処理しようとしていた気持ちに形を与えられてしまった=1年生の時に綴理先輩がどういう気持ちでいたか(Tragic Drops)を知ってしまったゆえの辛さなんじゃないかな…と想いを馳せてしまう。

日陰の解釈が難しいけど…自分の殻と解釈すると「日陰の中を抜け出した」「戻る場所は要らないからただそばに居させてほしい」も8話のあの想いを伝えるシーンを彷彿とさせる。

あと雨の止む瞬間の反対は太陽が沈む瞬間だし、夕日は赤いので…

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