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「成長した子どもが、大人になってから親の子育てを肯定できるかどうか」

この本の、ある登場人物が問いかけてきました。

「子育てやしつけの正解っていつわかるのか?」と。

それがタイトルに記載した台詞です。

「肯定する」と、口に出すことは簡単ですが、
具体的に、親の子育てにおける何を、私たちは肯定できるんでしょうかね。

自分は、
・親の子育ての方針
・言われたこと
・いわゆる、しつけ
といった類を、事細かく覚えていません。

そうした中で、
どう肯定する(もしくは否定している)のか、を考えてみました。


自分の普段の言葉遣いの、荒さと粗さ

これはそうだろうと。例えば、

ぶっきらぼうな口調と、適当な指示で同僚や部下に、仕事の依頼をかけてしまった

気に食わなかったことがあり、思いのままパートナーに伝えてしまった

そんな時の日本語の使い方が、
親が望んでいたそれと、ギャップがあった場合。

普段の自分の言葉遣いは、
親の子育て・しつけの答え合わせになっているのかもしれません。


自分の普段の、着飾り方

これはどうでしょうかね。

ここで言う着飾り方は、単なるファッションのみならず、
自分を他人の目に、どう映したいか
という意味合いです。

「こいつ、薄情だな」
「こいつはほんと、適当なことしか言わないな」
「自己管理が、だらしないよな」

他人の目に映る自分というのもまた、
親の子育ての答え合わせの一つなのかなと。

無意識下で意識するファッションや時間の選択、SNSの使い方など。
それらひっくるめて、どう着飾り、どう他人の目に映したいか。

「そもそも他人の目なんて気にしない」
そんな台詞もまた、そういう着飾り方なんだろうなと。


他人の言葉への、耳の傾け方

口、目ときたので、最後は、耳。

「この人の言葉は聞くけど、この人の言葉は聞かない」
「その言い方だったら、言うこと聞きますけど・・」
「ごめん、今忙しいから、何も聞いてる余裕ない」

人を選ばず、
言い方にとらわれず、
自分本位にならず、他人の言葉に耳を傾けているか。

瑣末な言葉に引っかかり、
論点をすり替えたり、
問いの本質的な内容を、掴めなかったり、
そんな耳の使い方をしてしまうことが、あるんじゃなかろうか。

耳の使い方も、親の子育ての答え合わせの一つになるかも。


とはいえ、
ここまで書いた主張・主義は、きっと自分の親からの影響があり、
それが“正”という前提で書かれた・まとめたものです。

このnoteを書くということ、
そのための時間を捻出しているということ、
こんな考えを持っているということ。

そうしたことで、(おこがましいですが)自分は自分の親の子育てを肯定したいと考えています。

皆さんは、自分の親の子育てを肯定できますか?


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