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非日常で、日常を。

私はかれこれ20年近く、よさこいを趣味に生きてきました。

よさこい - Wikipedia

Wikipediaより

初めての舞台は、2003年4月。
桜舞う、地元の小さな小さな花見の催しとして。
祖父が働く港の漁師から、大漁旗で作った法被を借り、
南中ソーランを踊ったことが始まりです。

南中ソーラン

YouTubeより

「踊る」ということが、自分の身体に馴染みました。

自分には、この趣味が合っていそう、とピンと来ました。

趣味において、
始めた「きっかけ」が存在し、
それを「取り組む理由」があると思います。

今回は、私が2023年、よさこいを「取り組む理由」を書きます。

1. 日常を、非日常に彩ってきた

よさこいを、私はよくTV CMに例えます。

地元チームやチームに熱狂的なファンがいるとかは別ですが、
基本的には、街中を歩いている人に向かって踊るため、
街中の人たちからすると「お、なんかやっている」状態
です。

CMとかもそうですよね。逆を言えば、
「TV CM流れ始めた!!やったああ!!」
「うおおぉぉぉおテンション上がるううーー!」
なんてならないですよね(一部、推しが出演しているCMとかは別ですが)。

言い換えると、私たちよさこい踊りを趣味にしている人たちは、

街ゆく人たちの、その一歩を止め、心を動かす趣味

とも言えるかなと。

街全体にお祭りの匂いを漂わせ、
いつもは買い物に、友達とお茶に、仕事しに来ているその日常風景を、
非日常に変えてきた。

日常風景を、非日常に変える。それがよさこい踊りの持つパワーの1つです。

2. よさこいの天敵、現る

そんなよさこい踊りですが、
2020年のあることをきっかけに状況が大きく変わりました。

新型コロナウィルスの流行。

コロナとよさこいの相性は、非常に悪い。

  • 声を出して、舞い踊る

  • 密になっている

  • 観客をつくり、人々を密にさせる

(唯一良いことは、基本屋外で踊るため、換気が良い環境でのパフォーマンスであるという点でしょうか)

コロナが影響で活動が制限され、
チーム活動が止まってしまったチームも少なくないと思います。

<私の母親が所属するチームの話>
私の母親も、よさこい踊りを20年近く趣味にしています。
潮風と茶畑の匂いに囲まれた、静岡の小さな田舎町で、
母親たちは2000年、よさこいチームを立ち上げました。

関西京都今村組、石狩流星海、天空しなと屋、ほにや

錚々たるよさこいチームの方々から曲を借りたい、作ってもらったり、
田舎の小さなチームとは思えないパイプを築き、
パワフルに舞い踊っていました。

ただ、母親たちのチームメンバーは、現在50〜60代。
コロナの影響もあり、家から出る、ということが億劫になったそうで。

今はもう、ほぼほぼ活動していないようです。
息子としては、母親たちがまた踊っている姿を見たいものです。

3. 非日常で、日常を。

私自身としては、
「一旦、踊ることはもういいや」「またいつか」
くらいに思っていました。

毎年開催されるよさこい祭りに、友人たちと足を運び、
酒を片手に演舞鑑賞する

そんな観る側としての楽しみ方を送ろうと。

だがしかしたかし、
よさこいやこれまで踊ってきたチームにコロナが与えた影響から、
考えを巡らせました。

そんな最中、今年の3月、
友人が踊っているよさこいチームの練習に誘われ、
軽い気持ちで練習に足を運んだときのこと。

その練習にて、
2023年の、そのチームの踊りのコンセプトを教えてもらいました。

コンセプトが、私にばっちりハマりました。

図解するとこんな感じ

3つの円の交わったところが、2023年のチームの踊りのコンセプト

この重なった部分が、
2023年のチームコンセプトにあたると解釈し、
チームの衣装に袖を通そうと、心に決めました。

私は、日常を取り戻したかった。
マスクを、取りたかった。
素顔で、笑い合いたかった。
大声を、叫びたかった。
馬鹿になって、盃を交わしたかった。

「おれたちは、こんなにも笑顔で、踊っているよ」

「お互い顔を見合って、大声で叫びながら、舞い踊っているよ」

「観ている皆さん、あの時の”日常”を、思い出そうよ。取り戻そうよ」

と、伝えたい。

今までは、よさこいを通じて、
日常を、非日常に変えてきた。
だけど、このチームならその逆ができると思いました。

非日常で、日常を取り戻す。

そんなパワーがこのチームにはあると、私の心は揺さぶれました。

4. YouTubeの対義語とは

このチームでなら、なぜそれが成し遂げられるのか。
その理由に関して、チームの魅力を伝えて、締めたいと思います。

皆さん、YouTubeって見ますよね。だらだらと。

  • 長いの対義語は、短い

  • 動きやすいの対義語は、動きにくい

と動詞における対義語は、考えやすいものかと。

では、YouTubeという名詞の対義語って、なんでしょうね。

詳しくは、この小説に書いてあります。

Amazon.co.jp: スター (朝日文庫) : 朝井 リョウ: 本

朝井リョウ「スター」を読んでの私なりの解釈としては、こうなります。

縦軸に「制作時間」、横軸に「心の動きやすさ」

という縦軸に「制作時間」、横軸に「心の動きやすさ」を書いて、

YouTubeを左下に配置した時、

右上に映画が来ます。

これは、映像というジャンルに絞った話です。
そして、あくまでも、YouTubeと映画という単語同士の相対的な話です。

では、「再生できない、生もののパフォーマンス」というジャンルにおいて、右上に舞台(例えば、劇団四季とか)を配置した時、

よさこいは、(あくまでも相対的に見て)どこに配置されるかというと、

ここに配置されるでしょう。
繰り返しですが、あくまでも、舞台に対してよさこいを相対的に見た話です。

ただ、私が踊るチームは限りなく、

右上に近いです。

制作時間の長さが長いほど、いい作品が作れるというわけではないですが、
そこにかける時間があればあるほど、クオリティが上がるのは間違いないでしょう。

街ゆく人たちの足を止め、
非日常のよさこいで、日常を取り戻す。

これまでとは逆の、ことを起こす。

願ってもいないコロナを流行らせるのではなく、
素顔で、笑顔になることを流行らせる。

私は2023年、そんなよさこいライフを送りたいと考えています。

よっちょれ!

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