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#74 未完の名作「いつか、淡色の空の下」について

 世の中には無数のマンガが存在する。我々読者の目に留まる作品なんて、まさに氷山の一角でしかない。そして、目には見えない海中には、恐らく一生を使っても読み切れないほどの作品がわんさかわんさかあるのだろう。その事実に、我々は希望と絶望を共に味わうことになる。

 そしてまだ見ぬ作品群の中には、なぜこれが多くの人々の目に留まり評価されないのかという名作がある。この場合の評価というのは、前提としていわゆるコアなマンガ好きのみならず一般層に届くことを指す。ファンからすると、みんな!もっとコレ読んでよ!なんで読んでくれないの!?......私の布教不足?と思うような作品たちだ。

 そしてそして、それら隠れた名作の中にも区分があり、大きく分けて二つ。完結した名作と未完の名作。

 今回は、個人的にもっと世間に知れ渡るべき未完の名作の代表格だと思っている「いつか、淡色の空の下」について書きたいと思う。

作品紹介

 とある事情を抱え、人との関わりを避けてきた少女・水杜(みなと)彩。止まったままだった彼女の世界は、絵を描くことが好きな少年・大咲湊と出会うことで少しずつ動き始める。

 泣いたり笑ったり、ぶつかったり惹かれあったり、これまで感じたことの無いような色んな感情が詰まった、僕らのたった一度の高校生活が、ーーーー青春が、始まる。

あらすじ

 湊は高校の入学式の朝、駅で路線図とにらめっこをしている少女を見かける。複雑な路線図であることと、同じ高校の制服を着ていたこともあり、丁寧に学校までの行き方を説明するがなぜか少女は怒って走り去ってしまう。困惑する湊だったが、走り去る際に少女が落とした手帳を返してあげるために、再び彼女に会おうと試みる。

 最初の第0話『夏、僕らは』の最終コマの時点で、水杜が一色覚(全色盲)であることが明かされ、その後続く本編で二人の”ミナト”と登場人物とのふれ合いを描いていく。

作品の魅力

 「いつか、淡色の空の下」最大の魅力は、水杜と湊、湊の幼馴染・茜の三角関係を軸とした青春譚と、色彩の描き分けにある。

 幼馴染としてしか認識していない湊と、そんな湊に想いを寄せている茜、そこに現れて湊と親密になっていく水杜の関係性は、誰しもが胸を高鳴らせる青春の姿。その中でそれぞれが少しずつ成長・変化を遂げていくのも、まさに王道設定。

 しかし、王道を行きながら独自の魅力となっているのが水杜と他の人達との視点の違い

 ほとんどの背景は彩り豊かに描かれているのに対して、水杜視点のコマのみ白黒二色の濃淡のみで構成されている。一色覚の方が実際に見ているだろう世界に出来るだけ近づけているのだ。

 さらにその違いを強調するために、小さなコマでも必要以上に青い空を描いたり、「わっ」や「えー」など吹き出し外のセリフや、登場人物達の喜怒哀楽を色で表して背景に落とし込むなど細かい視覚情報を入れている。

「わっ」「えー」など、あえて色を使って表現している
水杜視点のコマは白黒



 これらの演出は、色覚に問題を抱える方々に対しての差別的表現ではなく、そういった問題に明るくない我々のような人達に対して、このような世界があることを伝えて、理解を深めようという呼びかけの趣旨もあるのだろう。

「いつか、淡色の空の下で」(いつか、淡色の空の下 1-2話 『君に渡したいものがあるんだ』 / にいち http://nico.ms/mg180568 #ニコニコ漫画 https://seiga.nicovideo.jp/comic/22097)、(いつか、淡色の空の下 2-2話 『何色に見えますか』 / にいち http://nico.ms/mg191452 #ニコニコ漫画 https://seiga.nicovideo.jp/comic/22097)より引用

未完の理由

 「いつか、淡色の空の下」は、pixivとニコニコ静画にて2016年6月24日に初投稿され、最新第4-2話までが2017年11月19日に投稿されたところで途絶えている。

 これはネット上に発表される作品でよく見られる、作者が途中で失踪ないし死亡というパターンではない。

 作者のにいち先生は現在も創作活動を続けられており、代表作「少女アラカルト」シリーズと派生作品「現実もたまには嘘をつく」はコミック化もされて大好評発売中だ。

 では、なぜ「いつか、淡色の空の下」は未完のまま途絶えてしまっているのか。

 あくまで推測に過ぎないが、にいち先生本人の考えの変化などにあるのだと思う。一般的にわかりづらい題材を扱っていることもあり、展開が難しく、アイディアを出しづらくなったのか。はたまた、何かきっかけがあって完成を諦めたのか。

 もしくは現在は他の作品に注力しているだけで、いつかの完成を目指して構想中ないしお休み中なだけかもしれない。というかそうあって欲しい。

 にいち先生のモチベーションや、その他諸々の理由があるのかもしれないけれど、私は「いつか、淡色の空の下」の続きが読める日を待ち続ける。

 水杜が心から笑っている姿を見たいから。

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