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掌編|まぶたの裏側でしか踊れない


 寒い、と、かなしい。それから、眠い、はよく似ている。お腹が空いた、も似ている。けれどあたたかい(あるいは暑い)から嬉しいとか快活、満たされていると思えるかというとそんなこともない。と、灰色の毛布にくるまって、わたしは考えていたし、それでもやっぱり寒くてかなしくて眠くてお腹が空いたと思っていた。
 あたたかいものが飲みたかった。できれば甘いもの。ココアとか。そして少し塩気のあるビスケットを添えてほしい。
 わたしは灰色の毛布の中で想像した。あたたかく、甘いココアを。そして、添えられた少し塩気のあるビスケットを。ビスケットの縁は花びらのように波型で、全粒粉が入っているので香ばしく、塩の粒がいくつか散らばっている。それが舌に触れ、唾液がじわりとにじんでいく。人差し指と親指の先にも塩粒はまたたき、それも舌ですくう。そしてあたたかいココアを流し込む。甘く、しょっぱく、熱く、体の中心を燃やしていく。
 孤独に襲われる時、わたしはいつも想像した。

 そのねぎは鳥取県の名産品なのだと、中国地方の朝のニュースは伝えた。わたしは生まれて初めて、ねぎを美しいと感じた。白い部分は降り積もった雪のように白く、緑の部分は、鮮やかと言えばいいのか、濃いと言えばいいのか、深い深い、静かな大樹の葉のような緑色をしていた。
 ねぎは薄く斜めに切られ、しゃぶしゃぶにされた。鍋の中は白く細い絹糸が絡まり合っているようで、箸で持ち上げればきらきらと光を含んでいるように見えた。
 緑の部分はどこへ行ってしまったのだろう。

 フライパンの替え時というのが、いつまで経ってもわからないでいる。
 ある人は目玉焼きを指針にしていると言い、ある人はホットケーキ、またある人は餃子だと言う。
 あいにく我が家はそのどれも作らない。

 えんえんと続く田んぼ道の隙間を、黒い塊が通り過ぎる。黒猫のようなしなやかさ、賢さ、思慮深さなど持ち得ていない、十七歳のわたしの塊。幾重にも重なり合うガーセのレースはネットに入れられもせず縦型の洗濯機でごうごうと回されるものだから、しわが寄り、糸がほつれて飛び出している。毛繕いなんてものは知らなかった。
 無人駅には公衆電話もない。自販機は一つある。線路は一本しかないから、ホームも一つしかない。あちらに行くのもこちらに行くのも同じことのようだった。
 無論、わたしが向かうのはいつもあちらの方だった。学校へ、アルバイトへ、買い物へ、遊びへ、それらはすべてあちら側で行われる。そして、あちら側へ行くために、わたしは黒い塊となる必要があった。
 海へ行こうなどと考えたことはなかった。
 反対方面の電車は海へ向かう。橋を渡り四国へと向かう。
 けれど海へは、黒い塊では行けない。
 素肌を晒せないわたしは、今日も明日もあちらへ向かう。

 牛乳とは、学校で飲むものだと思っていた。仕切られた籠の中で厚ぼったい瓶が揺れ、さらにその中の清潔な白い液体が揺れる。
 牛乳の係には、なりたくなかった。重たいから。そして、割れるから。ごはん(あるいはパン)、おかず、汁物、デザート、おぼん、どれも落とせば悲惨だけれど、牛乳が一番悲惨だ。悲壮だ。あんなに頑丈そうな瓶が割れ、散らばり、清潔だと思っていた液体は教室の床の汚れを透かして濁り、その中に瓶のかけらが埋もれる。濃い、生命のにおいがする。ばたばたと皆が一斉に雑巾を持ち寄り床に這いつくばる。生命は薄汚れた布に染み込まれていく。わたしは生命の一部が飛び散った上履きを見つめ、途方に暮れる。
 実際そんな思いをしたことはないのに、あの籠を提げる度、いつもそんな想像をした。教室まで運び終え、机の上に籠を置くと、手のひらにいくつものしわができている。このしわが一生消えなかったら。また想像をし、いただきますと手を合わせる頃には元通りになっている。
 白く頼りない紐。薄紫の透けたビニール、時々開けるのを失敗してしまう、何枚も重なりあった紙のふた。順番に開けていき、ビニールを広げ、その真ん中にふたを乗せ、周囲を真上に集めて、根元を紐できゅううっと縛る。
 分厚い瓶の口はつめたい。少し獣のにおいがする。苦手ではない。牛乳はいつだってつめたい。つめたいものは死んでいる。瓶も、喉へとすべり込む液体も、ひんやりとつめたい。つめたいものは死んでいるし、清潔だ。神聖だ。
 わたしにとって牛乳とは、一日に一度、そして平日のみにしか与えられない清らかな飲み物だった。清潔で神聖、そして滋養のある、子供のための飲み物。夏休みや冬休みに入ると、何週間も口にすることはできないし、大人になれば、学校の先生にならないともう飲むことはできないと思っていた。だからあんなにも分厚い瓶に守られているのだと、信じて疑わなかった。

 水曜日と日曜日に買い物へ行く。毎回必ず買うものは、牛乳が一本。一リットル。これは赤い紙パックに入っている。ヨーグルト一個。四百グラム入りのもの。こちらは二つのメーカーのものをその時々で。
 つまりわたし達夫婦は一週間で牛乳を二リットル、ヨーグルトを八百グラム消費している。
 牛乳をさらさらと注ぐ。蛍光灯に照らされた液体は、清潔なつめたさをコップの中に満たしている。
 雪のような白、と言っても、わたしが見る雪はいつも空からせわしなく落ちてきて、ベランダの手すりに触れるとすっと消えてしまうような雪だから、その色を思うには難しく、百合のような、と言っても、やっぱり百合なんか身近な花ではないし、わたしが白を表すなら、牛乳のような、それも朝の台所で注ぐ蛍光灯に照らされた白、というのが一番身近で一番正確なのだと思う。
 世の中には数多の白がある。
 雪のような、百合のような、牛乳のような。鳥取のねぎのような、ヨーグルトのような(これもわたしには身近なのだけれどすぐにはちみつをのせてしまうのであまり正確ではない)、生クリームのような、豆腐のような、大根のような、新米のような、炊きたてのご飯のような、近所の猫のような(少し薄汚れている)、幼稚園で飼っていたうさぎのような(これも薄汚れているけれど赤い瞳の効果なのか猫よりは澄んで見える)、岡山城のお堀にいる白鳥のような(これは清廉)、保健室のベッドのような、大伯母の髪の毛のような、鎮痛剤のような、小学校の制服の襟のような、友達のレースの付いた靴下のような、いつかの白無垢のような、赤ん坊を包む布のような白。

 あの頃。
 わたしはいつもそのことを考えている。あの頃。それはだだっ広い砂場に一人取り残されていた時の乾いた空気。青色のヨーヨーを割ってしまった夏の夜の道端。白色のタイルの床に体育座りをした時の冷たさ。緑色の廊下の溝にたまるほこりの塊。薄暗い置き傘置き場。そういう頃でもあるし、見慣れた古本屋の棚の並び。車の中ののぼせるようなぬくもりと混ざるたばこの濃い匂い。よく行くファミリーレストランのカトラリー入れの灰色。早朝の音のない商店街。そういう頃でもある。
 それらはすべて現実であるのに、夢のようにわたしの頭の中で混沌と踊り出す。わたしは朦朧とする。今自分がいる場所がわからなくなる。目を閉じれば一瞬であの頃へ戻れるのに、開けば何もかもなくなってしまう。こんなにもはっきりと、くっきりと色を持ち匂いがするのに。ぬくもりも冷たさも指に感じることができるのに。
 全部消えてしまう。
 わたしは必死で目を閉じる。

 夢の中でしか行かれない場所。けれど妙にくっきりとしている。何度でも見る街。長すぎるエスカレーターと狭すぎるエレベーター。赤茶色のレンガでできた駅。灰色の学校。けむたい一本道。なぜかその世界でいつもわたしの味方でいてくれる人。眠らなければ行けない場所と、会えない人。
 あの頃と、夢の中と、現実と、その境目にいつも立っている。わずかな風が吹いて、右足が一歩分、あの頃に落ちてしまえばわたしはあの頃にいる。また風が吹いて、今度は夢に落ち、現実に落ち、行ったり来たりする。

 台所を満たす豚汁の香り。これが本当だということをわたしは理解している。しもやけの左手の関節が熱を持った痛みも、古いエアコンが立てる不穏な音も、遠くから聞こえる中学校のチャイムも、そろそろ洗濯物をしまおうと思っている自分の考えも、正しい本当なのだということを、ちゃんと、理解している。
 理解しているから、目を閉じる。そこにはいつだってあの頃が満ちている、あの頃の本当が、わたしの中をたゆたっている。まるで温水プールのように、熱くも冷たくもなく、いつだって浸かっていいのだと、そこに満ち満ちている。

 冬の台所は、芯から凍えてしまう寒さだった。そこは土間で、暖房器具は一つもない。
 代わりに夏の朝はやや快適だった。古い定食屋やラーメン屋のように天井近くに取り付けられた扇風機があるし、西側にある台所は、朝日がまったく入ってこない。外のすだれ越しの控えめな青い空気の中はすっきりと涼しい。無論、夕方には強い西日が差し込むので暑くなるのだけれど。
 午後、まだ西日の届かない時間に、祖母はいちじくの皮を剥いた。桃の皮も剥いた。夏休みのおやつの定番はすいかだけれど、時々、いちじくや桃を祖母が剥いてくれた。いちじくと桃は、立って食べるものだった。流しの横で祖母が剥き、まな板の上にとろとろの果実をそっと横たえる。それを、わたしと姉は順番こに指でつまみ、落とさないように急いで口に放り込んだ。特に桃はしっとりと果汁をたたえていて、祖母の手首をつるりと伝って銀色のシンクに落ちた。祖母はいつも、一番小さく汚れたいちじくや、種の近くのかたくて甘くない部分の桃をこそげたものを、最後にちょっとだけ食べた。それから、濡れた指や手のひら、手首をちゅるちゅると舐めた。
 静かな午後だった。私たち三人は、おしゃべりなどしなかった。なぜかその時は外の蝉たちも休んでいた。音のない青い台所で、ひっそりと食べるもの。それがいちじくと桃だった。


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