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十二月四日(月)
 よく冷えた朝。吐いた息が、そのまま凍ってしまいそう。
 実用的ではない部屋がひとつ欲しい、と思う。そこには好きなものしか置かない。嫌なのもは何も置かない。そんな部屋は頭の中にすでにあるのだけれど、本物が欲しい、と思う。それくらいに、切実な日々。
 午後、コーヒーを飲んだ後に、牛乳をあたためて少し飲む。あまい液体が欲しかった。栄養のある液体が欲しかった。
 本当にやりたいことを自ら避けてばかりいるようで、おかしい、と思う。でも、あたためた牛乳を飲むことはできた。
 ブロッコリーを少しの水とオリーブオイルと塩で茹でる。たまごやきを焼く。ピーマンとツナを炒め煮にして、鶏肉と大根を煮る。

十二月五日(火)
 夜中に目が覚めると、膝から下がかゆくてかゆくて眠れなくなる。三時頃からうとうととして、現実と夢との間のような夢を見て、起きる。太陽の見えない、うす暗い朝。
 休日、掃除。ベランダのローズマリーを一本切って水にさす。部屋の中が、きりっとした香り。『詩と散策』を少し読む。とても好きな本だと思う。紅茶をいれて、年末に向けて買うべきものをネットで注文する。実家へ手紙を書く。いつもは綺麗な絵のレターセットを使うけれど、今回は無地の白い便箋と白い封筒を選び、切手は、だいぶ昔に買った雪のつもった木が二本並んだ切手(82円)と、うさぎの切手(2円)を貼る。どちらも背景はうすい紫色をしている。部屋の中を歩くと、ローズマリーの香りがついてくる。
 トマトを切り、小松菜を油あげと一緒に煮る。Eさんにいただいた小松菜は味が濃い。明日は弁当がいらないのでたまごやきは焼かない。
 昼前、静かなつめたい雨が降りはじめる。
 夜中眠れない間、頭の中で鶏肉を煮込んでいた。トマトと、玉ねぎと一緒に。一時間くらい煮込むと、鶏肉はほろほろと崩れるくらいにやわらかくなる。それから、ローズマリーとオリーブオイルに漬けた鶏肉をじゃがいもと一緒に焼いていたし、ヴィクトリアケーキを焼いていた。丸い型で焼いたり、四角いホーローバットで焼いたり、マフィン型で焼いたケーキを横に切り、しっかりと赤くて酸味のあるラズベリージャムをはさみ、茶こしで粉糖を振っていた。
 そういうことが、しばしばある。頭の中で、私はいろいろなものをつくる。
 好きなものについて考えてみる。ミルクピッチャー、カフェオレボウル、白色、深緑、焦茶、濃紺、シナモン、レーズン、ホットチョコレート、かたいパン、アイスクリーム、カステラ、薄い布、霧、みずうみ、静かな雨、猫、秋のくだもの、あたたかいほうじ茶、木琴。

十二月八日(金)
 休日、掃除、年賀状の宛名を四枚書く。豆腐のマフィンを焼き、ブロッコリーを蒸す。
 注文していたピッチャーと、豆皿が届く。作家さんのもの。その方のピッチャーは何種類もあって、大きさや形で数年は悩んでいたと思う。やっと選んだものは、思い描いていたピッチャーそのものだった。私の頭の中にある部屋にある、ピッチャー。豆皿は深い緑色がとても好みだった。お漬物をのせても、チョコレートをのせても似合いそう。
 夕方、レタスを洗ってトマトを切ってピーマンを切る。大根、人参、じゃがいも、ブロッコリーの芯、ベーコンでポトフをつくる。煮込んでいる間に洗濯ものをしまう。
 結局、お茶を飲んだり、お菓子を食べたり、ソファーに寝そべったりしている時よりも、野菜を洗って切ったり、煮込んだり、布団を敷いたり、洗濯ものをたたんだり、そういうことをしている時の方が安らかだなと思う。

十二月十日(日)
 うすい霧の朝。だんだんと濃くなって、ふと消える。
 労働。労働そのものより、日曜日のスーパーマーケットにいる、ということに疲れてしまう。終わって、買いもの、帰宅。よく晴れている。お昼ごはんは鶏五目おにぎりと、しじみの味噌汁、みかん。おやつにコーヒーと、頂きものの桐葉菓、チョコレート。桐葉菓は、生地がもっちりしていて美味しい。トマトを切り、ブロッコリーを蒸し、たまごやきを焼く。豚肉としめじを甘辛く炒める。
 私は貪欲なのだろうか、と思う。
 生きていることが苦痛なのに、よく生きたい、と思い、よく生きようと思えば思うほど苦しんでいて、おかしい、と思う。やや買いもの依存気味な自覚があるけれど、買いものから快楽を得ることはできない。「ものよりも経験や体験」ということはしばしば言われることだけれど、私は圧倒的にものに縋っている。烈しく。切実に。ものが愛おしい、けれど疲労している。


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