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20240401-0407



四月一日(月)
 四月のはじまり。労働、のち歯医者。歯医者ばかり行っている。
 子供を育てることはそんなに難しいのだろうか、と思う。いや、もちろんとても難しいことだろうとは思うけれど、健康に、やさしい子に育ってほしいと願うことは、そんなに難しいのだろうか。むしろそれを願うことくらいしか、できることはないような気がするのに、願われなかった子はどうなるだろうか。
 そんなことを考えて、嫌になる。そんなことを考えないようになりたいのに、自分で自分をかわいそうと思って、嫌になる。
 夫が健やかでやさしい人であることに感謝して、嫌悪してしまう。

四月二日(火)
 今日から新しい石けん。前はフランキンセンスの香りで、今回はレモングラス。いつかの飴によく似た香りがする。見た目も黄色くて透き通っていて飴みたいだ。

四月三日(水)
 しっかりと雨。暗い朝。全粒粉とホワイトチョコのスコーンを焼き、小松菜を洗って切り、にんじんをオイル煮にし、たまごやきを焼く。こうして書き残していると、自分が同じものばかりつくっているのがよくわかる。
 あかるくなってから活動しよう、と思っていたけれど、昼になってもあかるくならない。雨雨雨。外はぐっしょりとしている。夕方、少しだけ服の整理をする。青い花柄が好きなんだな、ということに気づく。
 青い花柄。昔はそんなものは一着も持っていなかった。いつからこんなふうになったのだろう。子供の頃から考えていることは何も変わっていない、と思うのに、すべてが繋がった人生だ、ということはなんだか信じられない。
 いちごが食べたい。うんとあまい、大粒のものではなくて、小粒の、やや酸っぱいもの。あとは、マドレーヌを焼きたい。

四月四日(木)
 雨あがり。洗濯ものを干し、また少しだけ服の整理をする。この部屋の収納スペースに対して、手持ちの服は少し多いのだけれど、もうこれ以上は減らせないなと思う。好きではないけれど必要な服もあるし、ほとんど着ないけれど好きな服もある。
 掃除をして、パンケーキを焼こう、と思い立つ。いつぶりかわからないくらい久しぶりのことだ。若山曜子さんのレシピを参考にした。パンケーキは手間がかかる。パンやスコーンは生地さえつくればあとはオーブンに任せていればいいけれど、パンケーキはつきっきり。
 焼きあがり、十時半というおかしな時間に一枚食べた。バターをのせて、ナイフとフォークで。生地にも少し溶かしバターが入っているので、よい香りがした。泣きたくなった。部屋の中はうす明るくて、お皿と、ナイフとフォークの触れる音がする。

四月五日(金)
 帰宅してから猛烈な頭痛。一時間ほど眠る。

四月六日(土)
 Aの夢を見る。Aは指揮棒を振る。伴奏も歌声もなくても、Aは的確に指揮棒を振る。Aの中に流れる音楽を、私は聴くことができない。私はただただ何ものっていない机に視線を落とす。
 触れたことのない、十一歳のAの指先、Aの手のひら。夢の中でももちろんそれは、近くて遠い。あたたかいのか、つめたいのか、湿っているのか、乾いているのか、私にはわからない。その指先は指揮棒を摘んだり、ピアノの鍵盤を撫でたり、プールの水をかきわけていく。6Bの鉛筆を握る。
 木曜日につくったパンケーキを解凍して、食べる。パンケーキと、八朔をのせたヨーグルト。産直でみつば、なばな、ちんげん菜を買い、スーパーへ。小粒のいちごを一パック買う。一度帰って、夫はドラッグストア、私はクリーニングへ。そのあと靴屋へ行き、ローファーを試着する。靴はだいたい23.5センチだけど、ローファーは24センチみたい。身長に対して、ややちいさい足。
 帰宅。トマトを洗い切り、きゅうりを塩もみにし、なばなを茹で、みつばを新聞紙にくるむ。ちんげん菜を洗い切り、いちごは琺瑯容器へ。昼は、きゅうりとたまごのサンドイッチ。晩は、みつばと海苔の味噌汁、豚肉とちんげん菜の炒めもの、きのこのマリネ、小松菜のおひたし、ミニトマト。みつばはとてもよい香り。

四月七日(日)
 両足をつり、起きる。いちごをヨーグルトにのせはちみつをかける。きらきらときれい。朝食、掃除、そのあとに全粒粉のスコーンを焼く。今日はチョコは入れない。まだ少しあたたかいうちに、キャラメルとくるみのジャムをつけて食べる。夫は靴屋と実家へ行き、私はいちごジャムを煮る。小粒のいちごは、ちいさなびんひとつ分にしかならなかった。
 昼、鮭とみつばの混ぜご飯のおにぎり。三時、スコーンといちごジャム。夜、鶏としめじの照り煮。
 生きることはいつも不安だ。だから食べることはいつも不安だ。


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