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一月二十四日(水)
 雨の気配。
 ここにしか鳴らない、ピアノの音。
 アネモネの葉。
 野良猫の毛並み。
 いつかのベルベットのリボン、色はえんじ。
 記憶はしばしば、えんじ色をしている。
 よく冷えた、白い朝。
 もやもやとしていたので、朝の七時半からクッキーを焼く。薄力粉、アーモンドプードル、片栗粉、塩、シナモン、米油とはちみつ。オーヴンからシナモンの香りがあふれてきて、髪の毛までしみ込んでいく。
 いつも、自分で考えて決めたい、と思っている。でも、誰かに委ねられたらどれだけ気持ちがいいだろう、とも思う。人に身を委ねた時の気持ちよさを、もう、忘れてしまった。楽だとか、責任が伴わないとか、そういうことではなく、気持ちよさ。あの感じ。あの感じを、もう、この人生で味わうことは二度とないのだ、と思う。だからそれに似た言葉をからだの中に溶かしている。
 クッキーはしっかりとかたく、美味しい。
 二階堂奥歯『八本脚の蝶』をようやく読む決心がつき、読んでいる。

二月一日(木)
 掃除をしたり、パフとスポンジを洗ったり、化粧品の整理をしたり、家計簿をつけたり、滞っていたことをいくつか済ませる。昨日届いたOSAJIのリップバーム、あとさきを塗る。ああ、いい色。見た目はだいぶ赤いけれど、塗ると全然濃くない。すでに持っている、知らないの落ち着いた色味も好きだけれど、少し物足りなさも感じていて、これはちょうどいいかもしれない。
 昼前、吉川文子さんのレシピで、シナモンシュガーパイをつくる。うすくてパリッとした生地。とても美味しくできる。吉川さんのレシピは自分に合っていると思う。
 最近つくって美味しかったものは、鶏ひき肉を入れたひじき煮と、小松菜の梅おかか和え。
 私は、食べものをつくる人になりたいのだと思う。ごはんもそう、お菓子もそう。食べものの誠実さ、確かさ、そういうものに魅せられているのだと思う。ぬくもりや愛情は違う、もっと確かで、切実なもの。清らかなもの。でも、いつまで経っても馴染めないもの。
 夕方、トマトを切り、小松菜を梅とかつお節で和え、大根と白菜を切り、豚汁をつくる。

二月五日(月)
 私はここに居たい。
 しあわせになりたいとは思わないし、なれるとも思っていない。
 私はここに居たい。
 そのことを、認めてほしい。
 一緒にここにいてほしいわけじゃない。
 一人でここに居続けることを、認めてほしい。
 ぐっしょりとした気持ちで、ぐっしょりとした雨の中を歩いて、仕事へ。マスクの下で左の頬? 顎? が腫れている。きちんと三ヶ月に一度歯医者で診てもらっているのに、毎食後歯磨きもしているのに、昔治療したところに膿がたまって腫れてしまったらしい。抗生物質を飲んでいるのでお腹の調子も悪く、唇はぱりぱりになる。死にたいのに、薬を飲むために三度の食事をしている。本当に、死んでしまいたいのに。
 生きたくても生きられない人の辛さがどういうものか私は知らないけれど、死にたくても死ねない人の辛さは、苦しみは、どうしたらいいんだろう。そんなにいけないものなのだろうか。別にいけなくてもいいし、醜くても愚かでもなんでもいいのだけれど。
 大根と、お豆腐、溶きたまごの味噌汁に、海苔をちぎって入れる。いい香りがする。死にたくて仕方のない人間が食べるものではない気がするけれど、そんな味噌汁と、ヨーグルトをお腹に入れて、抗生物質を飲む。ゆうべ、ぼろぼろの精神でつくった味噌汁が、どうしてこんなに美味しいんだろう。私は何がしたいんだろう。
 コンロの電池を入れ替えたら、点火の音が全然違う。勢いよく、ヂヂヂヂヂヂヂヂ! という。

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