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歪んだ愛情

私は好きな人にDVを受けていたことがある。高一の初めての彼氏だった。学校で首を絞められたり、溝尾わけられたりと色々されており、彼の家庭が複雑で私が変わりに円光をしていた。

その彼とは2年続いていた。なぜかは分からない。でも今日考えていたのです、私はホストが好きとかではないのですが、優木純様のお顔がとてもだいすきでぶん殴られたいし引きずり回されたい。痣をつけられたいと思ってしまったのです。

きっとおかしいのでしょう、わからないけれど、それをぐるぐる考えていた一日でした。なぜ私が暴力を愛だと思うのか。それは父親や母親から受けてきた“躾”という名の暴力を沢山受けてきたからなのだとすぐに分かりました。

お父さんやお母さんが言う躾は愛がなかったらこんなに痛いのに殴らないし蹴らない。愛しているからするんだよ、どうでもよかったら放っておく。が口癖でした。嗚呼、私の歪んだ愛はここから来ているのだと今日実感しました。きっと、ほかの女の子もそうなのだと思います。アザがあることでその人のものだと思える、とか、これが消えない限り私はあの人の犬だ、とか精神安定剤のような安心感があるのです。

だから私は毎回好きになった人には殴って欲しい。と言ってしまいます。殴らないよと言われた時は愛されていないのか、興味が無いのか不安で不安でボダを起こしてしまいましたが、女の子に手を挙げたくないっていうんです、私の概念が壊れてしまうのです。愛があるから殴られているのなら私はどうしたら愛を感じることが出来るのかがわからないのです。

貞操観念ユルユルの私ですが、寂しい時は誰とでも寝ます、だって寂しいもの。私の傍に誰かいて欲しい。愛して欲しい、殴られなくても愛してるってわかる日がいつか来るのでしょうか。

もう泣きながら書いていて何をいえばいいかもわからないけれど、私はひとりで寂しいということ、埋まらない溝があるということ愛とはなにか愛に飢えていること、私はヨシヨシしてくれる誰かをきっと求めているのだと思います。


でもみんな、身体は大事にしてね。







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