成人式にいかなくても
「あなたは3ではなくて1か5に丸をつけるね」
これは中学生の頃、先生に言われた言葉。確か肯定的なニュアンスで受け取ったと記憶している。
たとえばアンケート。1は当てはまらない。5は当てはまる。3はどちらでもない。
あなたはどこに丸をつけてきましたか。もちろん質問の内容によるのだろうけれど。
テレビからは、
成人になった実感が湧きません という声。
おとなってなに?
いつまでこども?おとなってどこから?
なんてよく言われるけれど、私は結構前から自分のことをおとなだと思っている。
「じゃあ、あなたはおとななんですね」と言われるとそれはなんだか突き放された気持ちになる。ちょっとまって、まだできないことがたくさんあるよ、付き合ってくれないと困ることもたくさんあるんだよと焦ってしまいます。なんという矛盾。
ただ、毎日覚悟して生きています。生きること、死ぬこと、生み出すこと、捨てること、見ること、見ないこと、選ぶこと、選ばないこと。
選ぶことは線を引くこと。取り零すものが必ずあるということ。その覚悟をしている。つもりでいる。
自分が選択したその道、ではない道を否定しない。何かを認めるときに何かを貶す必要なんてないのに、根拠を示すためなのか正当化するためなのか何かにつけて比較することがあるけれど、そうではなくて自分が選んだその理由をまっすぐに言える人でありたい。誰々がこう言っていたから、ではなく、私がこう思うから、と言えるようになりたい。私の目で見て、私のフィルターを通して選びたい。意志をもって生きていきたい。
あなたはおとなですか?
あなたはどこに丸をつけますか?
1 当てはまらない
2 やや当てはまらない
3 どちらでもない
4 やや当てはまる
5 当てはまる
私が5に丸をつける理由は、
私はおとなである。という意志なのです。
そんな私の今年のやりたいことリスト100の16番目は「他人に流されてみる」です。
きっと新しい景色に出会えることを願って。選ぶことは意志をもつこと。自分で決めて流されるならそれもまた意志なのです。と思います。
成人式にいかなくても、おとなになれます。
あなたの旅路があたたかくありますように。
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