疫病あれども仕事は減らず…
2020年は帰省を終えたと同時に不穏な空気が纏わりついていた。
なんでも豪華客船に乗っていた乗客から新型コロナウイルスが検出されたとかで、ウイルスを閉じ込めるためにアレやコレやとやっていたらしい。
それが春を迎える頃にはそれまでの生活は一変していた。
世間は大混乱をし、マスクが薬局から消えたと思えば高値で転売されるようになり、感染防止に当たって人との接触を避けろと言われるようになった。
中でも飲食店は最も槍玉に挙げられた産業で、営業自粛が求められ、通常営業しようものなら自粛警察が現れて大変だった。
飲食店が特に感染拡大の犯人として槍玉に挙げられる中で、明らかに人が密集しているコールセンターなどは営業自粛を求められることは無かった。
仕事も減ることはない。
確かに本業の方は電話が減ったが、コロナ禍に伴って官公庁から新たな仕事が舞い込んでくる。
会社は新型コロナ発熱相談窓口の仕事を取ってきたため、今度はその部署に左遷された。
鳴って来る電話の殆どがクレームじみた剣幕で掛かって来るからオペレーターは辛かっただろうし、オペレーターからエスカレーションされる私も苛酷かった。
今までは仕事が苛酷くても、休日前に仕事終わりの一杯をご褒美になんとか頑張れた。
それすら飲食店の営業が自粛され、営業していても酒類の提供を自粛させられる中で、仕事は減らない自分いた。
普段なら離職が多いコールセンターも、この時だけは幾分か話は違った。
「仕事にありつけるだけでもめっけもんやで・・・」
そんな声も聞こえるほど世間には仕事が無かった。
「正社員の仕事にありつけるだけでもめっけもんやな・・・」
本当は転職を検討していた時期だけに溜息が出る。
開発部署からコールセンター部署に左遷されたものの、私の共感力の低さは度々指摘されていた。
仕事の辛さが緩和されることも無いのに休日前の愉しみは無くなる。
「中華屋で飲まんでも家で飲めばええやんか」と思うかも知れない。
しかし、家で女1人ビールにありついたところで癒しも何も無く、ただただ気が滅入ってしまっていた。
「なんや偉い悲壮た表情しとるなぁ、今日終わったら2連休やのに」
声を掛けてきたのは祝園琳華。
祝うに園と書いてホウソノと読むのだから、関西以外の人間にはまず読めない苗字だと思う。
中国人のお母さんの影響なのか、少々気が強いが面倒見が良く、同じ職場内では数少ない友人と言える女性だ。
なんでもお父さんが難波で働いていた時にお母さんと知り合ったらしい。
彼女は営業部配属でコミュニケーション力も抜群に高く、営業成績も高いことで評判だった。
「明日明後日休みや言うてもどう過ごすかなんて、ようわからん。
外でビールは飲めへん、かと言って女一人の宅飲みは絵面的にキツいわ」
「休日に酒飲みしかやることないのも暗澹いやろ(笑)
やることあらへんのやったら私と京都散策でもやらん?」
「いやいや、陰湿な京都人から偉い目で見られるんちゃう?
他府県ナンバー車が破壊かれたニュースあったやん」
「電車で行くから大丈夫やて(笑)
そんなん言うたら毎日府跨ぎしてるウチは殺されとるわ」
琳華は毎日難波と精華町を行き来しているスーパーウーマンだ。
どうせ大阪いててもやることが無かった私は、彼女と一緒に休日の京都を回ることにした。
<登場人物>
埼玉県出身の30代
自分に自信が無く、いつも何かに悩んでいる。
大阪に転勤したものの埼玉人の宿命で海が好き。
思いつめると無性に海へ行きたくなる。
中国人の母と日本人の父の間に生れた営業部に属する難波出身の30歳。
営業成績は良く、度胸があり、面倒見も良い。
短大進学時に精華町へ転居。
最初の就職先は給料が安すぎたのでIT業界の営業職に転職した。
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