東京帰省と嵐の前夜
年末にもなると帰省ラッシュで新幹線の自由席は座れなくなる、と言うのは東京から地方に帰り、地方から東京に戻る人の話だ。
大阪から東京に帰省する私にとっては、年末年始の混雑なんて何ら縁の無い話だ。
年末になると東京から関西へ帰る人は予め指定席の予約を取っておかないとまず座れない。
どれだけ新幹線の本数を増やしても到底間に合わない。
だけど大阪から東京に帰省する便は当日であっても余裕で券を取ることができる。
そんな光景を前にしていつも思うのだ。
「大阪の人は大阪に転職すればええのんに・・・」
なんだってまた、東京から偉い思いをして満員電車に乗って帰るのか。
そんなことを考えながら窓の外を見る。
私が新幹線の席を取る時はE席と決まっている。
ダジャレではないが、新幹線のE席は富士山を眺められる良い席だ。
そして富士山を眺めて陰鬱しながら東京へ向かう。
30歳の時に大阪に飛ばされて5回目の冬になる。
関東に帰ると、かつて見慣れていたはずの切符売り場も、すっかり余所感に包まれるのだから不思議なものだ。
私が大阪に行った後、父は妹夫婦を頼って蒲田に引っ越していた。
女好きの父を竹ノ塚からほど近い草加に住まわせておくことに一抹の不安があったから、妹夫婦が引き取ってくれるのは有難かった。
いじめられっ子だった私とは反対にして、妹は暴走族をやっていて家族に迷惑をかけていた。
旦那のとはその頃に知り合って、謂わばデキ婚をした仲だ。
デキ婚してはサッサと家を出て行き、私が大阪に異動される直前に蒲田にいることがわかった。
そして私が大阪に出るのと同じくして、父は妹達の家で面倒を見て貰えることとなった。
それが大人になってみると私以上に社会に順応していくのだから、人間というのは本当にわからないものだった。
再会した時に何の仕事をしているか訊いた時の一言が…。
「ああ、水商売やってるんだよ」
ときたものだ。
どうやら水道工として”水に関わる仕事”だから「水商売」と言ってるらしい。
それでも妹は水道工として、旦那さんは電気工事士として社会に順応するのだから大したものだ。
「来るとき思うけど、ようこんな治安悪いところ住む気になったなぁ」
蒲田は治安が悪いため、都内の住みたくないランキングでは上位に来る常連エリアだ。
近くには呑川があり、夏になるとスカムが浮上しては大変クサい。
だからお盆は正直、コッチには帰りたくないものがある。
「草加もスラムだったけど、海があるだけ草加よりはマシだろ。汚ねぇけど海はあるし、埼玉人は海好きだべ?」
聞けば将来的にはもっとのどかなところに引っ越したいらしく、今から準備を進めているそうだ。
ただ、今は五輪関係の仕事が立て込んで稼ぎ時だから、今の内にたくさん稼いでおくつもりらしい。
聞くほど将来について考えている妹が正直羨ましかった。
35歳になると夢が無くなり、自分の限界が視えるようるようになり、希望というのもが無くなっていくように感じている。
元より夢なんてなく、仕事も「今より待遇が良くなって欲しい」と言う、ただそれだけの期待しかなかった。
帰りの新幹線、車窓から富士山を眺めると関東から出たことを実感する。
また明日から退屈な日常が始まるのだ。
この時は、あのウイルス騒動が3年近くも続くシンドい自体になるなど、少しも考えていなかった。
《登場人物》
今の生活に不満を感じながらも動き出せない35歳(2020年)
仕事に鬱屈としながらも転職する決断もできず、悪戯に過ぎ去る日々に焦燥感を感じている。
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