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言語化できない悩みが増える30代

「もしもーし?」
肩を揺さぶられる感触がした。
目が覚めて見ると見覚えのある少女がいた。

「いくらココ変わったゴミが多いからって寝ちゃだめだよ?」
「アカン、いつの間に寝とったんかいな?!」
砂浜に捨てられていた大きな釣りボックスに座っていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。

「前もココで眠ってなかった? 砂の上で寝てたら思いっきり被せてあげたんだけどね」
「いやぁ・・・人生について考えながら波の音聴いてたらウトウトしてしまうんや。もうエラい肩凝るわぁ・・・」

眠ってる間、ずっと首が下を向いていたからか、意識を取り戻してみると肩が痛かった。
内灘砂丘をズボズボ歩いている内に、かなりお疲れになっていたようで、砂浜に捨てられていた釣りボックスに座って熟睡オネンネしていたようだ。
1度ならず、2度も居眠りしているところを見られるのだから恥ずかしい。

「お姉さん確か大阪の人でしょ? 緊急事態宣言解除されてソッコー内灘に来るとか、そんなに内灘はお気に入りかね?」

「せやなぁ・・・こんな広い砂浜で日本海見てると、自分のちっぽけさを感じられて好きやわぁ・・・」

「お姉さん、思春期だねぇ・・・」

「いやいや、30過ぎたオバハンやから今は思秋期や」

内灘砂丘から見る夕陽

気が付くと夕方になっていた。
内灘の海から見る夕陽は本当に綺麗で、浜辺を走る四駆との組み合わせは本当にえる。
大阪に左遷トバされても埼玉人根性が抜けないものだから、海は大好きだ。
それでも内灘が特別に思えてしまうのは北鉄浅野川線を走る営団地下鉄03系のせいでもある。
アレを見ると埼玉の思い出が蘇って、色々と懐かしくなるのだ。

埼玉時代は実父の男手1つで私と妹の2人を養っていたが、妹は不良ヤンチャで何かと手を焼かされた。
そんな妹が16歳でデキ婚したかと思うと、出産したらサッサと働いた。
働き出した妹は社会人オトナに順応するのは早かった。
勉強嫌いだけど乗り物の運転が好きな妹はトラックの運転手になったと思えば、最近は船の運転免許を取ったらしい。
暴走族だった旦那さんは電気工事士をやっていると言うから、本当に自分よりしっかりしてることに驚かされた。

20代前半の頃は仕事に打ち込んでいたのに、大阪に左遷トバされてコールセンターのSVなんかやらされるようになってからは、なんだか仕事が苛酷キツかった。
同性の同僚みたいに結婚する度量もなく、人を好きになるという感情が理解できず、1人でフラフラしている様は正に思春期なのかも知れない。

10代の頃は貧しかったから、金銭的事情という目に見える悩みがあった。
だから20代の頃はお金のためだけに頑張れたし、ハードな仕事もなんとかできた。
ただ30代になってみると言語化できない悩みが多くなった。
「なんだかわからへんけど生きてるだけで辛い」
そう思うことが多くなり、得体の知れない悩みを海の向こうに流したい、そんな感情から、やたら海が恋しくなるのかも知れない。

もちろん海を見たからと言って悩みが晴れることはなく、この一時的な一人旅エスケープが終われば苛酷キツい毎日の繰り返しが待っていることを思うと、何か寂しかった。

<登場人物>

池袋勤務か

わたし

ら大阪に飛ばされた30代。
言語化できない悩みが増えて鬱屈としている。

鳩ケ谷ナディア

ナディアの名前の由来は内灘巡回している「なだバス・ナディ」より。
父親が埼玉県出身。
鳩ケ谷はかつて川口市に囲まれた自治体:鳩ケ谷町より。

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