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オアシス備忘録

お気に入りの喫茶店が閉業した。随分前に閉まっていたらしいのだが、毎回訪れるたびに「あれ、今日もやっていないのか。ちぇ」くらいに思っていて、全く気づいていなかった。まさか、閉業するだなんて思ってもみなかったのだ。
最近、私の周りにはこのようなニュースが多い。例えば、二月末には津田沼パルコがその45年の歴史に幕を下ろした。津田沼パルコがなくなったら、夏あの辺りを歩くときに「暑いからパルコの中通っちゃお」ができなくなってしまう。我々はどうすればよいのか。
それから図書館や水族館、植物園。そんな施設もここ数年でどんどん閉まっている。これが東京における砂漠化か?


それから、箱根の星の王子さまミュージアム。こちらは三月末に閉園となってしまった。信じられない。サン=テグジュペリの人気を以てしても、閉園になってしまうというのか。園内に再現された可愛らしい街並み。慈しまれた庭。キツネの隠れるステンドグラスが美しい小さな教会。これらがすべて、ほんとうになくなってしまうのだろうか。


つらい。こう立て続けにくると、なんだかとてもつらい。
特に星の王子さまミュージアムは度々訪れていた思い出深い場所であるし、あの空間がこの"現実"に存在してくれていることが救いでもあった。そんなどこかの誰かの救いになっている空間が、どんどん減っているのだなあとしゅーんとしてしまう。


時の流れとともに人間の習慣が変わったり、建物が古くなったりして消えていく空間がある。言ってみれば人間そのものだって、古くなっていつか消える。それらは三次空間に生きる我々にとって避けては通れないこと。目に見えなくなると、途端に輪郭が朧げになって記憶も曖昧になりがちだ。悲しいかなそれほどに視覚情報は強い。


愛すべきと感じたものには、須らく、その瞬間に行動で伝えるべしと思って生きているつもりだけれど、力及ばぬことも多々ある。というよりむしろ、及ばぬことのほうが多い。仕方がない。その空間を我々に提供してくれていたその人だって、今日の飯を食わねば生きていけないのだ。ああ、私が大富豪だったなら、そんなことも妄想するけれど、私は私にできる範囲で真摯に向かっていくしかないのである。
それでもやっぱりおセンチになってしまい、私はこの日、曇っていたけれどしゃぼん玉を吹いた。愛すべき空間よ、さようならさようなら。


力ない勇者が魔王に挑めば、勇者は死ぬ。悔しいけれど"現実"だ。だったら力をつければよいのだ。「精神的に向上心のないものは、ばかだ」。いつか魔王の城を買収できるような勇者を目指して日々生きるのだ。時々、しゃぼん玉を吹きながら。



おわり

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