偉大なる第一号車はHONDAの……

クルマとは遠からず深い縁の二輪車、とりわけバイクの駆動系に注目してみます。
1976年のホンダロードパル発売はその後のバイク人口増加の端緒とも考えられる日本のバイク史の上でも記念碑的な、そして新大陸発見の様な重要な意味を持っています。

まず女性が乗りやすい車体を目指して小径タイヤと低いフレーム、それに何より始動が楽なようにキックスターターをゼンマイ式にして、脚力が弱くてもゆっくり何度か踏み込んで始動できるようにした別名ラッタッタはこのバイクの代名詞にもなりました。

もう1つの特色は変速ギアをなくしてしまったこと。つまり前進1速でスタートから法定速度の30km以上までをカバーしようというもの。使われるのは遠心クラッチのみというシンプルさでした。
更にはエンジンからリアのタイヤを駆動する後車軸まで鋳物の大きなケースで一体構造にしたものを一本だけの片側サスペンションで吊り下げるという思い切った構造を取っていました。ということは一体構造の後輪タイヤが大きな穴を通過すれば同じケースに固定されたエンジンまでもがガクンと衝撃を受けて振動してしまうことになります。

とはいえそもそも最軽量クラスのバイクゆえ後輪を吊るユニット重量もたかが知れています。おまけにチェーンの伸びや交換を考えなくて済むのはお手軽バイクに欠かせない要素。これにはイタリアのベスパという素晴らしいお手本があります。

これ以降日本の大部分と言っていいスクーターが皆このエンジン後輪一体化方法に倣います。
さてライバルのヤマハも黙ってはいません。フレームを底まで下げた上に両脚を揃えて座れるステップボードを設えたスクータースタイルを完成させパッソルを発売します。
メカ部分はロードパルに倣った方式で,これも売れないわけがありません。たちまち両社の激しい販売合戦が勃発します。

と同時に女性ユーザーも急増し日本のバイクブームを頂点にまで導きました。あまりの増加ぶりに,ヘルメット無しで乗れた50cc原付にもとうとう着用が義務付けられた程です。

さて、スクーター合戦はやがて高性能化や高出力化を目指すことになりますが、そうなると遠心クラッチだけの変速ギア無しではどうにもならない所まで来ていました。四輪車ではオランダに採用例があった無段変速と呼ばれる二対のプーリーにベルトを渡す方式。日本ではスバルが研究を進めていました。

これをスクーターの後輪に繋げることで変速機も不要なら重たいチェーンも不要。変速と伝達をいっぺんに行うプーリーベルト式はあっという間にスクーターのデファクトになりました。今日ではあのベスパもこれに倣った形です。

そればかりかスバルも遂に金属ベルトで無段変速機を実用化.これがAT車はおろか一部のマニュアル車の燃費を凌駕するまでになり小さいサイズを中心に日本車の大部分はこのCVT ~無段変速機で走っていると言っても過言では無くなりました。

ロードパルの発売から40年以上、もしもこの製品が現れなかったら日本にスクーターブームは到来したか?無段変速機は定着したか?と考えるとその偉大な足跡に敬意を払わずにはいられません。
蛇足ながら私の免許取得のその日に我が家で待ち受けていたのは届いたばかりのライムグリーンのホンダ・ロードパルNC 50でした。

免許を取って帰宅した玄関先には届けられたばかりのライムグリーンのロードパルが待ち構えていました。エンジンを掛けるのに、早いキックは不用。ゆっくりでもギコギコゼンマイを巻いてゆけばほぼ確実にエンジン始動。何日か通学のお伴に使っていると、ツーリングに出かけたくなるのは自然な気持ち。国道16号線を南下して横須賀迄一気に走っていました。城ケ崎までの海沿いの道を走ると、自分の手でアクセルを捻りどこまでも行けるこの小さなマシンがとっても愛おしく感じられます。

折り返して今度はずしまでの国道を北上、ほんの小さなツーリングでしたがバイクにのめり込む第一歩はこうして始まったのです。ロードパルはいつしかホンダプレリュードに、そして久々に跨ったMBX50で再びバイク熱のエンジンに火が入り、気づけば北海道を目指したのでした・・・・・

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