昭和の日に思うクルマの幸福
永年天皇誕生日だと思っていた休日はとっくに昭和の日というお休みになっている。平成の日という休日は無いのに昭和だけ特別扱い?
特別扱いされているのは昭和の旧車も同様。
近所の専門店に並ぶのはトヨタMR 2にニューマン・スカイラインの鉄仮面、フェアレディZ 31やソアラターボの純正?しんsy5速マニュアルetc
価格はどれも発売当時の新車価格と大して変わらないレベル。そこに驚くより今日の今までこんなに綺麗な状態を維持し続けた旧オーナーがいた事が大切。愛され続けてきた証拠がここにある。
さて一旦熱心なオーナーの手元を離れた旧車たちは何処へ向かうのか?こうした昭和の名作に憧れるのは平成生まれも含まれるのだろうか?とすればWebや動画でしかお目にかかった事のない旧車を実際に手にする喜びを想像しただけでも頬が緩む。
ただ、パワステにオート・エアコンしか知らない世代が半クラッチや重いステアリングに辟易しないかと心配にもなる。操作感は決して代理体験できないのだ。見た目やスペックだけで買い物してしまう人種には果たして大切に維持していく覚悟がどれほどあるのだろう。
或いは今後マニュアル車の減少を見込んで大量に買い占めて価格高騰するまで倉庫に眠らせておく業者に買い占められてしまうのか?(その方がクルマは傷まずに済みそうだが)
もしこれらの一群に自分のと同じSUツインキャブ130馬力のS 30初代フェアレディZがあったなら、再び玄関先に愛車として迎え入れても良いのだけれど!
かつての愛車は初代S30Sと言う最廉価版で4速ミッション時計なし、を10年落ち20万円で手に入れたまさしくポンコツだった。
ドアキャッチの調整に手こずりシートはリクライニング機構が破損して中古シルビアのものと交換。ニスの剥がれた木目風ステアリングもジャンク屋から代替品を選び放題だった。フェンダーもエンジンフードもテールゲートも元は別の個体からのスワップ。最後は自分で全塗装までやり遂げて、見違える中古車にはなったと思う。
5桁しか無い積算計を新車同様に戻して、尚30,000キロ程走破する頃は絶好調だった。
これで西宮インターから東北道北端近くまで1日1,000キロ超のドライブも一度や二度では無かった。それほどL20六気筒とクーペボディが編み出すフィーリングが最高に快適で経済的だったのだ。
185サイズのタイヤを履かせていた当時の重たいステアリングは女の子泣かせだった。イヤ他の理由でも泣かせたけど。タイヤは鳴かない方だった。
最後はエンジンのコンプレッションが低下して車検取得を断念。解体業車に売り渡す時は断腸の思いだった。
今の時代にあってあの時代の名車を軽々と乗りこなしてしまう女子が居るのには只々頭が下がる思いだ。1日も長く昭和カーとの蜜月を楽しんで欲しいと心から願うところである。
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