10時10分、新木場発の1号車

落ちていた手袋を拾った。
始発駅、1番乗りで乗車。合皮性でブラウンのもの。高そうに見えて、本当は高くないんだろうなと何となく分かってしまうような手袋。落とし物ってどこか所作なさげだけどこの手袋はドカッと椅子の真ん中にいて、なんだか図々しさも感じた。

年末にウォークマンを落とした。
気がついたのは飲み会に向かう電車内のなか。この電車を逃すと遅刻、というギリギリのラインで駅まで走った。電車には間に合ったけど相棒のウォークマンがない。心当たりの落とした場所も時間も分かっているのに警察に連絡しても、リサイクルショップを覗いても、メルカリを見ても見つからない。落とした公園のベンチに座って、ウォークマンを入れていたポケットに手を突っ込む。こんなとこにいるはずもないのに。

降りる駅について立ち上がる。朝のピークが過ぎた駅員さんにポケットにしまっておいた手袋を渡す。分かる。分かるよ、そんなもん俺に渡すなって思うよね。だからってそんなに露骨に嫌な顔をするな。
安いか高いか、おそらく安いであろう片手しかない手袋だって、もしかしたら思い出の品かもしれない。そうじゃないかもしれないけど。
俺のなくしたウォークマンはケースもボロボロで電池の消耗も凄まじく早く、あげようがないくらい中古品だ。でもケースがボロボロなのはハムスターに齧られたからだし、何より自分の歴史が詰まってる。
中高でよく聴いたFUNKY MONKEY BABYSも、フェスで知ったアーティストも、流行りの音楽も、スターウォーズやセッションのBGMも、自分が通ってきた道がそのまんま反映されている。第三者からみた価値と本人の価値が同じとは限らない。
あの手袋がちゃんと帰りたいところに帰れるように願ってる。人助けじゃない、あくまでも自分のためだ。そうやってあるべき所に帰ったものたちが回り回って、自分の手元にウォークマンが帰ってくることを祈って。
救いようがないくらい自己中な人間による、誰にも拾って貰えなさそうな長めの独り言。


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