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ぬいに助けられている

休職し始めてから半年経った。
相変わらず休職は続いていて、今月もまた復職が望ましい状況には至れなかった。
だが私なりにかなり状態は良くなっていると思っていて、今だから見えること、前回から数ヶ月の間に変わった事を自分の文として残しておきたい。
(注:この記事は、上記の時点で書きかけになっていたものを、更に半年後に完成させたものとなっている。)

前回は6月の時点でnoteを開いたが、あの時点ではまだ薬の服用が安定しておらず、副作用や離脱症状に悩まされて体調が安定しない時期だったので、マシになったとはいえまだまだ治療の初期だった、と今ならよく分かる。

現時点での私はすっかり薬による効果が発揮されていて、ずっと抱いていた「死にたい」の深みにはすっかり入れなくなった。というのも、今までの死にたい、とは絶望の奥底に自分から潜り込むようなイメージで、死にたいと思う度に頭が重たくなるような感覚がしていた。
それがいつからか、浅瀬でポチャポチャと足で水を蹴るような深さにしか潜れなくなった。

自分で自分の奥底に籠り、憂鬱な気分に浸かって悲しくなることが出来なくなって、必然的に周りが見える状態でポチャポチャするしか無くなったので、立ち直りも早くなった。

これは明らかに以前と変わった感覚で、感情がこんなに薬に影響を受けているのに、本当に私の心は私のモノとして動いているのだろうかと不安になることがある。

でもおそらく今の状態が「健常」の範囲なんだと思う。でなければ世の中の人はもっと思い悩んでいるはずだし。
まだたまにポチャポチャ(死にたいと考えることを)してしまうのは、自分の不快感や不満を上手く処理できてないからだなぁと解釈している。

なかなか我慢癖が抜けなくて溜め込んでしまうのは悩ましい。それでも長年付き合ってきた「死にたい」という気持ちに愛着があって、完全に居なくなられるのは寂しいと思うのも私の気持ちなので、もう少し和解できるまでは付き合ってもらうつもりでいる。


ここでタイトルの話になるけれど、ぬいに助けられている。これが本題である。 

会社に行くでもなく、動ける訳でもない肉体でできることといえばソシャゲやSNS位のものであるが、ちょうど休み始めた辺りでとあるソシャゲを始めて、そのシナリオにいたく励まされて、ハマっていた。

そのソシャゲではかつてゲームセンターで獲れるぬいぐるみが発売されており、同じジャンルの先人のオタク達の投稿を見ていると、多くがそのぬいぐるみをいたく可愛がっているのだった。
かわいい服を着せるだけに留まらず、ぬい撮りも活発で、ぬいぐるみたちはいつもおしゃれで素敵な世界に連れ歩かれていた。
通販で購入できるシリーズのぬいぐるみもあることはあるが、人気なのも分かる可愛さを持っているのはプライズのぬいぐるみであった。
安易ではあるがすぐ、私も推しキャラのぬいぐるみ欲しくなった。しかしプライズ景品は時期が過ぎれば中古販売しか手に入れる手段は無い。

仕事をしていない私の収入は心許なく、中古品でも手を出すのに悩む価格で足踏みをしていた頃に、「自作ぬい」ブームが始まったのだ。

端的に言えば、私は裁縫の腕に特にコンプレックスが無かったので、作った。それはもう、作り終えたと思えば1週間足らずで次の個体を作り始める有様で、完全にどハマりしていた。なんならソシャゲそのものよりもハマっていたと思う。
朝起きられないとか、夜寝付けないとか、それによって身体中が不調であるとか、そういった状態の合間を縫うように作業していたのに、段々とのめり込んで行った。気が付いたら同じキャラのぬいぐるみが5体くらい居た。

ぬい作りは楽しかった。会社の仕事のように〆切がないし、失敗したら作り直せばいい。
いろんな手法があり、正解は人それぞれ。上手い人の作品を目指して純粋に頑張れたし、完成しても納得できないなら、次の個体では改善すればいい。
なんといったって、完成したら、柔らかくて、そこに居て、嬉しい!
仕事では得られない充実感、これを完成させたのはこの自分だ!と確信を持って言える自信が私の気持ちを明るくして行った。

ぬいぐるみが手に入ったなら、今度はぬい撮りだ!
そう思った私は、自作のぬいぐるみ片手に地元のあちこちへ出かけるようになった。
ある日はモーニングをやっている店、ある日はただのチェーン店。庭で花が咲いた日はサンダルを引っ掛けて写真を撮った。

ぬいぐるみがいなければ、きっと私はひたすらに寝込んでばかりで、会社の人に見られたらと思ってろくに出かけられないような生活を、もっと長く続けていたと思う。
そんな杞憂を押してまでも出掛けるきっかけを、ぬいぐるみはくれたのだ。

やり始めの頃はこんなにも人生に影響をもたらすなんて思ってもいなかったけれど、本当に、ぬいぐるみにまつわる行動で元気になったといっても過言ではない。

長い休みになりそうだけど、時間が使い放題というメリットは今の私にとって大変有意義な状態である。この期間中に、休む前の私が我慢していた分の気持ちを、成仏させられたらいいな。


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