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文化を通じて自分を知る〜5月のこの頃〜

どうも。こんにちは。今日は、また文化を通じて自分を知る旅に出たいと思う!うっ!今回は、この5月に感じる肌感や暖かい雰囲気について。世間では行楽日和と言った感覚だろうか。午前中よりも昼下がりのあの、子供にアイスを買って上げている親や子供が嬉しそうにアイスを食べて歩いていたり、おばさん同士が共通の知り合いと立ち話で盛り上がっていたり、商店街のお店がこぞって、客引きをしているあの昼下がりの午後。では、旅に出よう。

5月の思い出

5月は僕にとって特別な季節だ。春が終わり、夏に差し掛かる前のなんとも言えないエモい季節。高校生時代は青春と言う青春とはほど遠かった僕であるが、5月の昼下がりには部屋で窓を開けて、心地よい風を感じながら寝そべっては、「JUDY&MARY」を聴いていた(我ながら女子かよw)。僕は、九州生まれなので、暖かい季節が好きだ。5月はこの肌感覚が一番心地良い。そのせいもあってか、この「暖かさ」が身体や目に触れるもの・感じるものを無意識に選んでいたのかも知れない。例えば、音楽を聴いたら「あの時のあの場面」を思い出す事ができるでしょ?5月の昼下がりの暖かさは僕にどんな文化を運んできてくれたのだろう。今でも感じるあの暖かさに。

影響を受けた文化

5月の昼下がりの暖かさは、僕にたくさんの事を思い出させてくれる。

まず本では、
・午後の恐竜 星新一著
・ 潮騒 三島由紀夫著
音楽では、
・JUDY&MARY
・マーティン・デニーのエキゾチカ
映画では、
・リンダリンダリンダ 山下敦弘監督

 だろうか。。(やべえ、意外と少ねーw)どれにも共通して言えることは、

気候的な暖かさ(生まれ育った環境)とそれぞれの文化が、季節・音楽的要素(リズムやメロディ、コンセプト)・内容が僕が触れた時期と一致している。

と言うことだろうか。星新一の午後の恐竜は、1日を通じて生物誕生から恐竜絶滅くらいまでを描いている。午後の昼下がりのあの幻。潮騒は、南の小島での漁夫と乙女との恋愛。

音楽では、JUDY &MARYを当時の5月に聴いていたから。JUDY &MARYの曲は明るくポップで陽気な感じがするのでそれでも5月の感覚。エキゾチカはもはや、音楽的に南国感は有る。

映画でのリンダリンダリンダは、文化祭の話なので秋なのだが僕が触れた時期が多分5月なんだろう。。それと学生の青春って勝手に僕の中で「春から夏にかけてのこの時期」と言うフィルターがかかっているのかも。

影響を受けた結果

結局、文化は受け取る側のフィルターを通してどう感じるのかだと思う。クリエイター達も「魂」を通じて体現して文化を作って行っている。僕は、この5月の昼下がりの暖かさを通じてそれっぽさのフィルターを勝手につけて文化を感じているだけかも知れない。僕が大切だと思う事に「この音楽のここがどう好きで、こう感じた」と言う、作り手の、他の聞き手の思い出話やどういったフィルターが有るのかを知る事が大切だと思う。

こう思うのも、僕は映画をよく見るからか映画ではよく「思い出の曲や思い出のシーン」について語られ、それが結構話の大筋だったりするから。文化は人が作り、人が育てる。影響を受けると言うことは、好きだからだけでなく、無意識に文化をつなげて行っている事なのかも知れない。



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