(感想)桐島、部活やめるってよ 原作:朝井リョウ


読みづらいものを読むぞと意思を固くしてから読んでいただけますと幸いです。すみません。


名前は聞いた事がある!
という印象のみのこの作品でしたが、勧めていただき、ついに観てみました。


良かった……
良かった……
「高校生」という特別な存在が輝いていました。自分もそうだったな…とやっぱり思い出して、しみじみ思う時間がありました。
(普段「学生もの」には全く触れないので余計に)

高校生が持つ勢いとか、不器用さとか、一生懸命さが観ていてひやひやしてくるというか、若干観ていられない気持ちにさえなりました。
子供じゃないけど、大人でもない、自分に自信があったりなかったりするあの感じ。
自分の世界っていう概念を見つけていくあの時間や場所。
考えてるようで考えてないし、考えてないようで考えてる自分と友達と。
ア〜〜〜〜という言葉がいちばんでかく口から出ます。もうとにかく言葉にならない感情があるそこに。
俳優さんについてですが、神木さんの演技がすごく自然で良かった。
あと沙奈さん役が、松岡茉優さんだとは思わなかった…!雰囲気が今とは違いました…!



好きなところについてです。

いきなりですが、あの終盤の菊池君(東出 昌大さん)の溢れ出してしまった表情が私の中でピークだったと思います。
あの作品自体がドキュメンタリー的で、目的を目指す物語では無かったと思っていますが、桐島くんがなんなのかも明かされず、登場人物の胸の奥、心中が吐露されることもない作品でした。
起こっていることをただ見させられている、という。

そんな中でポーカーフェイスの彼女持ちイケメン菊池君は、最初は「やっぱ野球なんてやーめた、面倒くせえ」な男の子なのかと思ったのですが完全にやる気がないわけではない、かと言ってめちゃくちゃ野球やりたい!というわけでもなく。でも練習には行かない。という右にも左にも振れるなんとも微妙な姿勢でしたね。


そうやって日々を消費していく中で、先輩(チーム)に「求められて」、練習を頑張るキャプテンを「目撃して」それが、なんとなくでも「次は…」と試合に出ようとする気持ちに繋がったわけですが、「次は勝てそうなんだ(お前がいなくても大丈夫かもしれない)」と言われてしまうっていうのが人生うまく行かないところで、見てて「あ〜まあタイミングだよな、しょうがない…」と思いました。が、そんな中最後のあのシーン。

前田君が「映画監督は無理だ」と言ってからのシーン。
あそこまで一心不乱に少し苦手そうなバレー部たちに、自分の中の「映画を撮る」を守る為に立ち向かって、そこまでして作品を作ろうとしてるのにあっさり「無理だ」って言うんだ?と。
呆気に取られてからレンズ向けられて、「格好良いね」と褒められた次の表情があれ???
私もぶわっときました、彼の本当に感じていることや思っていること隠している気持ちなんて何一つ知らないはずなのに、『いいよ俺は…』とただ「溢れてしまった涙」がとても切なく胸にきました。
彼女のこと好きか?と疑問に思ってしまうくらい淡々としていて、友だちといてもそんなに笑わない。ぱっと見、楽しいのかな?とも見えてしまっていたあの菊池君が。
彼自身の中から繕えないような大きなものが込み上げてきたんだなと。
ただその瞬間前田君と自分を比べたのかもしれないし、前田君が眩しかったのかもしれないし、実はそこで初めて自分をしっかり見つめた瞬間だったのかもしれない。真実は分からないけども、思わず涙ぐみながら「いいよ俺は」と言ってしまう何かがそこにあったんだなと感じました。(照れ隠しでもあるかもしれませんが)
本人にはそれは分かっていたのでしょうか?彼自身でも分からないものが溢れてしまったのでしょうか?と考えさせられました。


作品って「一方こちらでは…」とか「実はこうでした」とか人物の言動の表と裏を遅かれ早かれちゃんと見せてくれるものが多いなと思うのですが、こちらはそうではない。だからこそより自分達に近く感じました。知りたくても知ることの出来ない時間や他人のことが必ず存在するという意味で。
必然的に「そこで初めて知る」という瞬間が人生の中には数多にあるように、第三者視点にはなれない作品でした。

余談ですが、終盤突如始まったグロテスク表現シーンには意表を突かれました。作り物なのは分かっていたんですが、すこしショッキングでしたね。
前田君がそれほどの明確なヴィジョンを持って取り組んでいる、という事の表れですね。


⚪︎「桐島」について
まず「桐島とは?」レベルで情報を与えてもらえない存在でしたね。考察というものがあるみたいですが、先入観を記録したいのでそれは見ない状態で書きます。

個人的には、人それぞれの中にある「自分を支えてくれる概念」のことを表したかったのかなと浮かんでいます。

この作品の中では、桐島という名前を持った「環境、己の精神、他人によって揺さぶられ定まりきれない不安定な高校生が求める確かな強いもの」つまり「拠り所」として出演しているかもしれません。

「桐島」(拠り所)がいると安心する、心強い、大好き、交流したいと皆が思っています。求められています。
けど、「桐島」がいたりいなかったり、急に返事をしてくれなかったりするのは、多感で成長途中の10代の「目まぐるしく変わる環境や気分」「やらなきゃいけないこと」に追いついていけない大変さ、「どうしたらいいんだろう」と悩むことで『見失ってしまうものがある』ことの渦中を映画自体は表しているんじゃないかと思いました。
桐島が部活に来ない、連絡してくれない、というのは「自分発信ではない、自分じゃどうしようもないことがある」という表現で。

それに振り回されつつも一生懸命経験を積んでいく高校生たちの日々を切り取ったのが『桐島、部活やめるってよ』なのかな、なんて感じました。
ある意味「高校生ってこうだよな」という視点というか。

正解とか正義とかそういうものが存在していないのは、やっぱり「それでいい•そのままで構わないんだよ」というメッセージがあるのかなとも思いました。
打ち込めるようなものがあっても良いし、なくても良い、途中でやめたっていいし、たくさん悩んで決めかねないことだって別にいい、状態や結果なんて関係なく学校生活に必死になっていること自体を肯定してくれているような。

それこそ、物語というよりはドキュメンタリーを観ていたのかも知れないです。

原作は読んでいないので「全然違う!!」と思われてしまったら、ただすみませんなのですが「桐島」という存在を考えずとも一生懸命に怒ったり悲しんだり、他人とすれ違ったりする10代の人物達に思わず感情移入してしまって楽しめる作品でした。
観てない人に「とりあえずちょっと観てみなよ」と勧めたくなりました。

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