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オセロー

Casual Meets Shakespeare
『OTHERO SC』

観劇しました。

オセローという物語に初めて触れた身として、純粋に主軸を追う、シリアス寄りの感想になりました。ご承知ください。

今まで、オマージュ的なものは見てきたけれど、シェイクスピアの物語をしっかりと浴びたことはなかったので、セリフひとつひとつの素晴らしさから、圧倒される日々でした。

観劇数こそ少ないけれど、感動は毎回大きく、次に見ればまた違う感じ方をして帰る、悩ましい、素晴らしい世界でした。

コメディ的に申し上げますと、私はずっと、

キーーッ!!!!なんでよ!!!!!

と、思いながら見ていました!

言葉を操るイアーゴーに翻弄され、言葉ほど曖昧なものはない、と自分で気付いておきながら、嫉妬に狂い、異なる事実に目が眩み、目の前の妻の言葉はうまく飲み込めない、愚かな哀れなムーアに成り果ててしまいました。嫉妬とそして、誰より自分がムーアであることに引け目を感じていたのも原因の一つ。差別されない人種に対する嫉妬なのか・・・。

最後にエミリアが自分を犠牲にして言葉を尽くし、イアーゴーを追い詰めなければ、そのまま狂い続けたのでしょうか。

エミリアはイアーゴーの妻らしい人だと思った。「私には何考えているかわからない人」と夫の性に本能的に気付いていながら、自分の考えをしっかりともち、正直に行動できる人。

エミリアがこの事態に気付いていたら、この物語は成立しなかったでしょう。きっとどのような盤面からもひっくり返してみせたと思う。

ビアンカも少ししか登場しないけれどなんて純粋で真っ直ぐな人だろうと思いました。「私たちだって生きてる」と、叫びながら退場していくところを、私はいつも涙を堪えて歯を食いしばって見ていました。

イアーゴーにしっかりと嘘つきだと目を見ていった彼女の一撃が大きく刺さればいい!!!と思っていた。キーーッ!!!!

ずっと、エミリアとビアンカが核心をついたことを言う、と思って見ていました。二人のセリフにシェイクスピアのセリフの素晴らしさを感じていた。有名なセリフもさらっとエミリアが口にしていましたね。

デズデモウナの純粋さ、忠誠心、愛情にもずっと心を奪われ続けました。女は最強!大好きです。

役者、そしてセリフ、みんなすごかったな・・・

凛々しく強い、芯の太いオセロー将軍が見事に狂っていった。デズデモウナを手で払うところは見ていられない、あんな能無しの猛獣のように狂ってしまった。

オセローが戦場でかったい枕で寝る話(雑)からセリフの素晴らしさを感じる。あの表現によって、どんなに過酷な状況かが一発でわかる。

デズデモウナの、「私のことを好いている友達がいたら、今の話を・・・」のところなどなど、まわりくどいと言われればそうだけど、はっきりと口にせず、でも思いの丈がはっきりと口にするより見事に伝わる言い回しがこの先もいくつも出てきて、一つ一つここで語るのは野暮ですね。でも本当に一つずつに感動していた。粋なセリフ、というやつですね。それがとてもたくさん散りばめられていた。というかダメなセリフなんて一つも無いのですけれど!

そしてロドヴィーコーがよかったよなあ。あの立場からの行き場のない怒りが、思いが、溢れていました。

本当にみんな良かったんだよなあ!ブラバンショーの怒りや言葉も、それに対する伯爵の言葉も、キャシオーの忠誠心や愛、どうしようもないお酒との付き合い方、人の本性とのあれやそれ、それと向き合う自分自身、道化とのやりとり、ストーリーテラーの的を得た言葉運び・・・。

ロダリーゴが面白いほどに言葉で動くところ、あれはイアーゴーを調子に乗せていたと思う。うわああん。純粋に彼もデズデモウナを愛しすぎて盲目になっていたんだ、目が覚めたあの瞬間に裏返ることもできたはずだけれど、そこにうまく新しい情報を突きつけたイアーゴー・・・。

イアーゴーだって嫉妬に狂わされた一人。ずっと怖かった。彼は本当に優秀な旗手だよ、裏副官と呼んでもいい。この人はいつだって自分の行動や言葉を起こすたび、「これでいい」と確認している、慎重に、確実に進む、そういう人間だ。その能力を嫉妬に狂わさず活かせたなら。この人のセリフも本当に心情の伝わるものだった・・・。

やーーー本当にこのままだと永遠に役やセリフについて言及してしまう、だめだカフェでお茶をしながら話すのがいい。(今日お約束があるありがとう)

27日のマチネでは、前回見た時よりも、ラスト、イアーゴーの言葉を受けて床にドタンッと倒れ込んだオセローが印象的で、目を奪われました。感情も役者それぞれに爆発していた、役者のことが心配になる程、形は違えど感情に身を任せる姿が迫真的だった。

千秋楽でまた変わるかもしれないけれど、私の観劇量だけでもこんなにも蓄積されてしまった思いを少し吐き出しました。今日もしっかり見届けよう。

誰が発案者かは知らないけれど、カーテンコールでデズデモウナの手を引くオセローが見られるのには、演出家の思いを感じました。バナナフィッシュの時に言っていた、死んで幕を閉じても、またカーテンコールで姿を見せることができる。それ以上の言葉は尽くせないけれど、そういうことだと思った。

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