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30歳の挑戦

古谷大和さんにとって、この作品がどのような意味をもつのか、ほんの少しくらいは分かっているつもりです、ファンなので。

演劇を愛する彼が、また新しい一歩を踏み出したわけです。

今までもいくつかソロ曲を歌い上げてきた舞台がありますが、ここまでの完全ミュージカル作品は初めて。

1ヶ月に一回は舞台を踏むことの多い古谷さんが1ヶ月半、もしくはもっと前からボイトレをして稽古に励んだ今作への覚悟は感じていました。

始まってみれば、、
古谷大和さんは変わらず、名舞台俳優なのでした。

単純な歌唱力とか、そんなんの努力の結果を見にきたんじゃないんですこっちも。向こうもそれを見せに来た訳ではない。こんな感じのことはまぁFCブログにも述べられているのですが・・・

いつも通り、愛する役と芝居を楽しんでいて、ただ、歌が加わったことにより、ミュージカルが持つ魅力を持ってして、古谷大和の表現との最大公約数を全力でぶつけられてしまったのでした。

ポエミー風の遠回しな言い方をするな!!!!でももうだめなんだもう!!!!!もう私は役者古谷大和のお芝居を受け止めるには器が足りねえ!!!!!!語彙力上げようとした結果遠回しになってる気がするけどもう私が持っている日本語の全てを駆使したってあの人の魅力を語りきれないんだ!!!!!!無理ですだって、こんなに素敵な役者がこの世にいることに気付いただけで万々歳です!!!!!もう死んでもいい!!!!!もう少し見たいので死なないんだけれど・・・

前回のnoteで書いた通り、6人全員にリスペクトを送れる、素敵な作品でした。それと同時に、自分が古谷さんのお芝居にこんなにも特別に惹き込まれてしまうものかと思い知らされたのも事実でした。

ジャコモとヴァレンティノの演じ分けについて。
無邪気で表情がくるくる変わるジャコモ。歌う時はまるでデ○○ニープリンセスのような。傷付いたら傷付いた顔をして、怒ったらぷんぷんして、楽しい時はニコニコ笑う、可愛らしいジャコモでした。だから愛おしくて、この子に恋をしたら、してなくても、、この子の目が見えなくなるのなんて、泣きたくなる。この笑顔を守らなければと思わずにはいられない、なぜか儚くもあるジャコモです。

母と死別して拾われて育った、もう宿命のような寂しがりの姿や、一人で立ち上がる強さを持っている。

弱くて強いんだと思います。

しっかりしろ、ジャコモ、と自分を鼓舞して立ち上がる歌は健気で強い。可愛らしくて大好きです。

過去に見た天使の影を追って、記憶を辿る歌は本当に大切そうに歌う姿が印象的でした。

そしてヴァレンティノ。
早着替え!くらいの感じで役を切り替えて出てくるところが多いけれど、二人いるんじゃないか?と本気で思う。

ヴァレンティノのただならぬ色気はなんでしょうね。
色気でまとめるには勿体無い、それは哀愁とか、人外の持ち得る雰囲気とか、絶妙に絡み合ったものでした。
ヴァレンティノって、神が、自分だけを唯一愛して欲しくて、人間に恋したヴァレンティノに怒り狂うくらいの美しさを持っているんです。ルカが語るように天使の中ではエリートで、ヴァレンティノ本人が語るように神の膝の上で寝られるような他とは逸脱してしまうほどの愛を受けていた。それに相応しい雰囲気を持つヴァレンティノでした。

一人語りの時、柱や自分の体に触りながら妖艶に話をするんですよ。でもジャコモやルカの名前を呼ぶ時は大切そうに、、悪戯な顔をしているけど、人間のことも天使のことも誰よりも愛せる誰より優しいヴァレンティノ。白い小鳥を拾い上げる仕草ひとつ、優しくて哀しいですよね。

自分が愛を注げば注ぐほど、相手に不幸が訪れるなんて悲しすぎるじゃないですか。どこのシザーハンズよ

泣きたくても笑うしかないヴァレンティノ、絶対泣いているのに、泣いているようにしか見えないのに、笑ってるんですよね。痛々しくて、辛かったです。

小鳥に向かって、僕を記憶できるかい、と語りかけるところ。誰より小鳥を優しく掬い上げて風の音でもいい、覚えていてくれと願いながら空へ放すんですけど、言葉を失います。

そしてジャコモに恋をして、(ジャコモが過去に自分の姿を見たことを信じて喜び舞い踊るのを見た後だとわたしは解釈しているのですが、)ダヴィンチの絵の完成を願い胸躍るところ。

気持ちが溢れに溢れて声と共に客席側に何か気みたいなものが放たれたような感覚。分からないんですけど、もう、あれだけは配信では分かりません。照明の力もたしかにあったと思うんですけど、そんなレベルじゃない、こちらに来たのが声なのか気持ちなのかセリフなのか音なのか風なのかよくわからないくらい、とにかくその歌を聴いたら心臓にドンって直接くるような感覚があったのを覚えています。言語化は難しい。

どうやら映像作品化は厳しいようです。諸々の理由があり。勿体無いけれど、でもあれを映像で見るのと直接見るのでは大きく違ってしまうような気がして(とはいえ配信に救われたし配信でもとても心揺さぶられたけれど)、これでよかったのかなとも思う。

翻訳の仕方やお話の構成からして疑問点も不明な点もあると思いますが、そんなことは些細なことで、そしてジャコモとヴァレンティノを同じ人が演じるその巧みな脚本に、同じ音をこの二人に歌わせる音楽に、心動かされない者はいないと思います。

どんな形であれ、目にできた人は幸せ者ですね。

そんな作品に、応援する、絶対的信頼を置く役者が特別な想いを抱き挑んでくれたこと。幸せに思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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