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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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2022年1月の記事一覧

「プライドはゴミ箱に捨てろ」という言葉への違和感。

 特定の誰か、というのではなく、悩んでいる人に対して、いわゆる「成功者」から向けられてきたのが「プライドはゴミ箱に捨てろ」といった言葉だったと思う。  初めて聞いたり、読んだりしたのが、もうずいぶんと前で、確か20世紀のはずだけど、それから、21世紀になって20年がたっているのに、おそらくは、ここ1年でも、同じような言葉を目にしたような気がする。  でも、聞くたびに、見るたびに、いつも微妙な違和感があった。 プライドについて  辞書で「プライド」をひくと、シンプルな言葉

ドラマを見て、株主のことを、少しだけ考えて、おかげで知識が増えた。

 少し前の話だけど、2022年の年明け早々、綾瀬はるか主演のドラマを見ていた。  以前、連続ドラマだったのだけど、その特別編として放送されていた。 ハゲタカ  そのドラマ自体は、楽しく見られた。真面目すぎるし融通をきかせることが苦手だけど、その真っ直ぐさが魅力につながりながら、とんでもなく有能な経営コンサルタントを演じる綾瀬はるかが、そのような人にしか見えなかったから、やっぱりすごい俳優なのだと思った。  その一方で、自分が会社や経済や組織に無知だから、本当に詳しい人には

「断言して、間違えると、どうして間違いを認めづらくなるのか?」を考える

 ドラマを見ていた。  火曜日10時。TBS。偽装結婚枠になるのかと感じつつ、毎回、設定に無理があると思うから、それほど期待もせずに見始めると、そこから、面白くなっていくから、それは凄いことなのかもしれない。 ドラマのキャスティング  今回も、1回目を見ていて、すぐに結婚はしないまでも、偽装交際の気配が漂ったが、その映像を見ている時に妻が言った。 「あのさ、あの人。前に、出てて、吃音で、歌うときは大丈夫な役で」。  その時に、自分が言っていた、あまり根拠のない事情通の

「フライドポテトのニュース」で、改めて思うこと、思い出すこと。

 マクドナルドのフライドポテトのことが、新しい年になってから、再び、ニュースになっていた。  じゃがいものの流通に関わる、かなり政治的なことでもあるらしいので、それでニュースになっていたのだけど、まるでマクドナルドの宣伝のようにも見え、「Lサイズがなくなる前に食べたいです」と店舗に並ぶ人たちをテレビ画面で見て、そんなにポテトが好きな人が多いのかと、意外だった。 ポテトの戦い  そんなことへの関心も、早くも微妙に遠くなっていた頃、こうしたTwitterを知った。  これは

「こういう働き方」は、本当に理想に過ぎないのだろうか。

 もう忘れ去られそうになっているのだけど、「老後の資金2000万円不足問題」というのがあって、不安をふくらませた上に、解決もされないまま、なかったことにされた一連の流れを、個人的には、少し覚えている。  その時に個人的に確認できたのは、自分はとにかく働き続けるしかない。それも、長生きするのであればなるべく健康で死ぬ直前まで働きたい。そうしないと、生きていけないのは変わらない、というような覚悟について、だった。  でも、同時に、このままだと、過酷で孤独な労働を、高齢者になっ

ドローンで、「鳥の視点」を獲得できるのだろうか。

 月に一度か二度通りかかる川のそばに、立派なカメラを抱えた中年以上の男性が何人もいて、何を狙っているのかと思ったら、カワセミだった。  それは川の光景の中では、とても鮮やかな色でキレイで、だけど、そのカワセミは、川の流れの中の岩の上に、ずっと止まっていた。もしかしたら、獲物を狙って川に飛び込む瞬間を撮影されようとしていることを知っているのかも、と思うくらい、長い時間、じっとしていた。  カワセミは、何を見て、とまっていたのだろう。 しらさぎ  同じ川には、白鷺がいた。

「地動説」を「信じること」と、「コロナ禍」に「マスクをつけること」は、似ているのかもしれない。

 最近、場所をとるので、マンガをあまり読まなくなっていたのだけど、テレビ番組で、マンガのことを、とても楽しそうに語っているのを見て、何冊か読みたくなった。  その中の一冊が、「チ  地球の運動について」だった。  読んでいると、地動説のこと。知そのもの。それが、テーマになっているようで、そして、まだ2巻までしか読んでいないけれど、こんなに描けるのかという凄みを感じた。  たまにはちゃんとマンガも読まないと、自分も、ただ古くなるのではないか、と本当に思った。 「コロナ禍

「電線のある風景」のかけがえのなさ。

 電線があるのは、先進国ではない。  そんな言葉は、特定の誰かが言った印象はないが、それでも、ずっと聞かされてきた。同時に、電柱や電線は、明治以降、発展をなるべく早くするために行われた「仮設」的なものであり、電線は地中化すべきということも、ずっと言われている。  どこかで、そんなものかもしれないという気持ちもあったが、それでも、電柱も電線もずっとあり続けて、そして21世紀になり、かなりの時間がたった。  今日も外へ出れば、電線も電柱も、そこにある。 エヴァンゲリオン

新しい辞書が、ウチにやってきた。

 テレビがあって、こたつがあって、本棚もある。ラジオもある。  広くない4畳半の部屋に、いろいろな情報があふれているような気もするけれど、分からない言葉があると、妻は、本棚に横向きに置いてある辞書をすぐに引く。  そういう習慣がついたのは、ここ何年かのはずだったのだけど、それなりの年齢になって、そういう行為を繰り返しているのを見て、私は、どこかおっくうになっていて、すぐに検索をしてしまうから、やはり素直に敬意も感じている。 新明解国語辞典  家にある中で、小型版で使いや