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津軽三味線奏者が「ましろのおと」をマジで読む1巻目

僕はジャンルは問わず、音楽漫画を邪に読んでしまうことがあります。
それは主人公が、「とてつもなくかっこ良く描かれているから」であって、どこかそこに突っ込むところがあれば、そこばかりを強調して読んでしまうからです。もう性格悪い(笑)ただ、この「ましろのおと」は違いました。

主人公の雪(セツ)は、祖父でもあり、師匠でもある松吾郎の音を亡くし、場所を求めて東京に出る。求める音ってところにピンと来て、読み続けているのですけど、小さい頃からのバックボーンは「じっちゃの三味線が好き」という事。内心、羨ましいと思う奏者は多いかと思います。

東京に出て来て雪が初めて弾いた曲が「津軽よされ節」
津軽五大民謡の一つで、僕もライブ冒頭とかでさわりを弾くのですが、よくじょんから節と間違われます。ただ、歌のメロディーはあいや節の次にメロディアスで、歌詞も情緒たっぷりの歌詞があったり(歌詞は無数に存在します)起承転結がはっきりとある民謡なので、好んで弾く人は多いです。
僕の師匠の動画を貼ります。じょんから曲弾きと出ていますけど、よされの間違いであることだけ記しておきます。

そして、津軽三味線大会にも触れられています。ここは結構リアルで、僕も出場したことがありますけど、中々狭き門であることは間違いないです。
今はそこも受賞できるポイント等があるみたいなのですけど、漫画ではそこではなく、雪が兄の若菜に言う、
「たくさんの三味線の音が鳴っていても、若菜ちゃんの音はわがる」
これは僕の解釈で、自分の音がちゃんとあることが大事ということなんだと思います。
これは奏者の誰もがぶち当たる壁で一生の課題になる大きなものです。

流派にも触れられていて、そこはもうあるあるの話であって、読みながらウンウンと頷くことばかり、ただ僕もこの流派に関しては否定はありません。
僕も教室を構えるにあたり、教えるということは僕の流派になるんだなという意識は持っています。けれどやはり僕の師匠は佐々木壮明氏ですから、その流れを持つということは決して悪いことではないです。

雪の母親の梅子が、津軽小原節を唄うところがあります。実はこの小原節、歌づけがすごく難しいと思うのです。
歌づけの場合、奏者もその唄を知っていなければいけません。そして、その唄は「歌い手」で変わります。その人の癖を瞬時に見抜いて、その唄を盛り上げるために伴奏をこなす。
僕はたまに師匠の唄でつけさせてもらうのですけど、そのバリエーションは無限です。けれどハマるとこれほど気持ちのいい唄はありません。
最後で三の糸が切れて、梅子が発狂する気持ちというのはものすごくわかります^^

途中のお話が抜けてますけど、バンドの前座に雪が登場し、じょんから節を弾くのですが、それは多分祖父の松吾郎が残した曲「春暁」の節が入っているのではないかと思っています。バンドのファンの前にすっと津軽三味線を持って現れるというのは、中々のかっこよさ。そしてズルイ(笑)

中学校の時に、文化祭の出し物で全校生徒の前で津軽三味線を弾くということをしたことがあります。当時はイヤイヤやったのですが、その時のことを同級生が今でも嬉しそうに話してくれるのは嬉しいものです。

ということで、奏者の目線で「ツッコミは無しという縛り」をつけての感想でした。今後の展開というのは、ましろファンはお分かりかと思うのですが、2巻目、3巻目と書いていけたらと思っています。

とにかく雪、「16歳」はズルイ。

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