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変わってると言われる人の言い分

普段、割とおおらかな人たちの集まる職場で働いているので職場で指摘されることはないが、今でもたまに『変わってる』と言われることがある。

小、中学校ではよく言われ、高校生になると楽しい友人たちだったので個性的かな?でも友達だしべつに、みたいな感じで受け入れられていた。
大学時代はみんな自分の世界で生きていて、みんな違うのは当たり前という中にいたので『変わってる』と言われるのはバイト先のみだった。
自分が成長して年齢が上がるのと同じように周りの人も成長し、環境もより自分にあった場所を自分で選択できるようになるので『変わってる』と言われることは選択できなかった小、中学校の頃より減っていった。

何が言いたいのかというと、変わってると言われたい人も世の中にはいるらしいけど、言われる度に傷つく人もいる。

相手に向かって変わってると言う人たちはきっと傷つけることが目的で言っているわけではないと思う。もし傷つけたいと思うならもっと直接的に何か攻撃的な事を言えばいいのだから。
でも変わってると言われる側の1人として、というかそちら側の1人の意見ではあるけれどその一言に傷つく人もいる。私です。

小学生の頃は何が違うのか分からなかった。
中学生になると『それよく言われるけど、あなたとは違うのは当たり前。あなたが私と違うだけでは?』と思うようになった。
高校生になり変わってると言ってくる人もいたけれど、そもそも言ってくる人たちは仲のいい友人ではなくただ同じクラスにいるだけの人な事がほとんど。
自分にとってわざわざ気にする必要のない存在だった。
大学ではみんな自分の好きなようにしているし、同じことではなく違うこと、オリジナルのものを求められていたから変わってるなんて思う人はいなかったんじゃないだろうか。
そんな風に自分なりに折り合いをつけたりしながら学生時代を過ごしていたが、予想外のところから受け止めきれない豪速球が来た。
かなり衝撃的ではあったが高校時代と大学時代のどちらで言われたかがあやふやになっている。でも特に問題はない。

ある日、実家で父親に言われた『変わってる』がこれまでの人生で一番衝撃的というか傷ついてしまった言葉。
いろいろと収集癖があるよね、みたいな話の流れからそういう発言につながったような気はするけどどんな会話だったかはっきりは覚えていない。
ただ『変わってるからいろんなもの集めてるよね』みたいな感じで言われたのだが、え、これまで変わってるって思いながら一つ屋根の下に暮らしていたの?
この一言が頭の中でぐるぐるしていた。驚きすぎた。知らなかった。
まさかそんな風に十数年思われながら養われていたなんて。
言わなかっただけで十数年そう思ってたのか、とよく分からない裏切られた気持ちになってしまった。わけが分からなくなってしまった。

もうそうなってしまうと誰に『変わってる』と言われてもだめ。
その一言にかなり敏感になってしまった。
なんでそんなことを言われないといけないんだ、私の何を知ってるんだ、自分と違うのは当たり前だろ、いろいろ思ってしまう。
本当に、みんなそれぞれ違うってこと知ってる?って思う。

結構な地雷になってしまった『変わってる』の一言をまた最近も言われてしまった。

今更な人にまで言われてもう私はなんなんだ、となってしまった。
1週間前に言われてまだ引きずっている。傷口を粗塩で塩もみされた状態なので傷はかなり痛む。
説明の難しい間柄の相手ではあるが、変わってると言わないほうがいいと伝えてみたら、“言ってあげたほうがいい人のみ”と返された。

“言ってあげたほうがいい人”

なんだか何を言ってもいい相手って感じがしてしまう。
『変わってる』には違うことを認めないような印象を持っているので、そういうことを言う人にも同じ印象を持ってしまう。
自分と違う存在を認めないのかな、みたいな。
私自身は変わってるとか小学生の頃から言われてきているのでみんなそれぞれが自分とは違う存在だと理解しているし、自分以外の人に対して期待してはいけないとも思っている。
自分を理解してもらおうとは思っていない、受け入れてくれるだけでいいんだけどどうして、、、言葉にできない。説明できない。
受け入れてくれるだけで、ってところが誰かに自分の希望を押し付けているのかもしれない。それで余計なダメージを受けているのか。

何にせよ、その言ってあげたほうがいい人っていうのが引っかかっている。そんな人っているの?
きっと今更な人はここまで私がダメージを負い、めそめそと書き綴っているなんて思ってもみないだろうな。プールで泳いでストレスと付き合いながら生きてるとでも思ってんじゃないだろうか。

23時過ぎてから言ったほうがいい人とか言われて寝る前にいやな気分になって、もう寝て次の日を迎えて元気にリセットするしかないから寝ることを選んで、次の日の朝は最悪の気分で仕事に行く準備をしながら涙を拭いていたなんて。
まさかそこまでを想像しての発言ではないだろう。
でも私にとっては地雷ワードなのでそうなる。
そんな状態なのに仕事に行く準備をしている自分がまぬけにしか思えなかったけど、仕事に行くことで強制的にいつも通りのペースに寄せられるのでどうにか半日を過ごせた。
職場でいろいろ話をして笑っていつつも、いまあなたが笑い合いながら話している相手はまぬけですというアナウンスが頭の中に流れていた。

帰宅後はまた言ったほうがいい人ってなんなの、とめそめそ。
言ったほうがいい人なんていないし、そういうこと言っちゃう人なのかと一日中思っていたことを帰宅後にまた繰り返し思った。
この人は○○だ、みたいな決めつけというかラベリングをする人は苦手だし、自分自身はちゃんと人と向き合ってないわけではないんだけどどんな人とかがあまり気にならないタイプだ。
あまり人に対して気にならないはずなのにかなり引っ掛かってしまった。

とりあえず今更な人の“言ったほうがいい人”発言に何も返信できなかった。無理だ。
今更な人にとっての私は暇つぶし程度の存在なんじゃないかと思っているので、こちらも暇つぶし程度の存在の私として接していたけど言ったほうがいい人ではない。
人に言ってはいけないことを言っていい相手なんていないから。

たぶん、空気読めない人って思ったんだろうな。
違うんだよ、ある程度は読めるけど読まないことにしてるんだよ。
空気読めない人っぽくしてたほうが職場でもどこでもいろいろ楽なんだよ。
ってことは自分が原因でダメージを負っていた自損事故みたいなものだったの?
いや、絶対違う。そういうことじゃない。
空気が読めない人=言ってあげたほうがいい人ではない。

1週間めそめそしてやっと外に向かって吐き出せるようになった、書けるようになった。
本当にだめになってたから。
怒りではなくかなしくなってしまうから変わってるなんてわざわざ言わないで。もし怒りにつながってたなら、変わってるって言うけどお前が私と違うだけだからな。って言ってるだろうな。

実際の私はダメージを負いしおしおになって這う這うの体で生活している。
まだ勝手に涙が出る時もある。
無意識に地雷ワードぽい存在だった『変わってる』を親に言われて地雷ワード確定してしまったのがいけなかったんだろうな。親っていうのがすごい破壊力だったんだな。
それを今更な人が言ってあげたほうがいい人とか言い出して、今更古傷に粗塩を揉み込んでくれたものだからおかしくなっちゃって。
まだ心の中はいろいろ考えてしまってめちゃくちゃな状態だ。

とりあえず、もし変わってると思う人がいたとしても何を言ってもいい人なんていない。相手が自分と違うのではなく、みんなそれぞれ違うんだよ。
全てが完璧な人なんて存在しないと思っているし、変わってると言ってしまう人たちが絶対に許せないわけでもない。
余計な一言ってつい言ってしまうことはある。
分かってはいるけど言われるとつらいから変わってるの一言は飲み込んでください。





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