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生活保護の支給に関係する事件を理解するための5つのポイント

2022年11月、堺市の30歳代男性が同じアパートに住む60歳代男性を死なせた事件は、2人が生活保護を利用していたことから思わぬ展開を見せています。福祉事務所の担当者らが「不適切」を通り越して「不正」な運用や「あってはならない」対応を行っていたらしいことも、明るみになりつつあります。
本記事では、福祉事務所や担当職員が関与した事件を理解するにあたって重要なポイントを、生活保護に関する取材・執筆を続けてきた立場からお示しします。

1. 発覚のきっかけ

発覚のきっかけは、極めて重要なポイントです。「それがなければ、バレなかったかも」ということですから。
今回の事例で、生活保護の不適切運用の可能性が浮上したきっかけは、生活保護の利用者2名による加害(容疑)と被害です。
誰かがお亡くなりになり、自然死ではないことが明らかであったり事件性が疑われたりする場合、いずれかの時点で警察等による捜査が始まります。今回は、容疑者の30歳代男性が隣人としての事情聴取に暴力的に対応したことから公務執行妨害容疑となり、さらにその後、殺人容疑となったという経緯のようです。
容疑者の男性が、生活保護業務を担当するケースワーカーさんたちにとって対応の困難な利用者であった可能性は、容易に推察できます。

2. どのように調査されたのか

福祉事務所が不適切な生活保護運用を行っている可能性は、30歳代男性が容疑者として逮捕されて取り調べを受けたことから浮上したようです。
生活保護の現場は、行政の現場の中では例外的に多額の現金が動く職場です。多額の保護費が不正または不適切に使用される可能性は、刑事事件であるかどうかとは無関係に存在します。時には、福祉事務所職員による数千万円単位・数億円単位の横領事件も発生します。そもそも金額と無関係に、生命と生存にかかわる重要な業務です。このような観点から、生活保護を実施する機関に対しては多重のチェック体制が設けられています。
市の福祉事務所に対する都道府県の監査は、事件や不祥事がなくても、年に1回行われます(町村部の生活保護は、都道府県福祉事務所が担当)。政令指定都市の場合は、各福祉事務所に対して市本庁が監査を行います。さらに、都道府県または政令指定都市に対する厚生労働省の監査があります。不適切な運用が長期化していれば、毎年の監査のどこかでチェックされ、是正を求められているはずです。
都道府県・政令市が行う監査に関する厚生労働省の規定

大きな事件等があれば、年に1回の通例の監査と別に、特別監査が行われます。「身内だから甘い」ということは、あまりありません。生活保護は動く現金の量がハンパない上、「公費を使ってばかり」という他部署の冷たい目線にさらされがちですから。
「どの監査が」「どういう経緯で」「いつ」行われたのかは、かなり重要です。今回の堺市の事件では、堺市本庁による捜査が迅速に行われたというわけではないようです。警察は「福祉事務所(職員)が不正支給によって市に損害を与えた」という容疑についても捜査しているようですが、その容疑がどの時点でどのように判明したのかは、市本庁による監査のタイミングと関係があるでしょう。

3. その状況は、いつから継続していたのか

2018年、私は堺市福祉事務所を訪れ、取材と記事化を行いました。当時の堺市で生活保護業務にかかわる職員たちは能力とモチベーションが高く、チームワークも見事なものでした。当時の堺市で行われた多数の「グッジョブ」の中には、国を動かし、制度化されて現在に至っているものもあります。
ですから、正直なところ「なぜこうなった?」という思いでいっぱいです。
不適切な対応や運用が行われて修正されない状況が2022年度の堺市福祉事務所に存在していた事実は、事実として認めるしかありません。2023年3月20日午前中に報道された「担当ケースワーカーが、被害者となった男性に暴力を加えていた」という事実は、もしかすると氷山の一角かもしれません。
「なぜこうなった?」の背景は、ある程度は生活保護ケースワーカーの経験年数で探れます。多くの自治体において、福祉事務所(「生活福祉課」など多様な呼び名がありますが、正式名称は「福祉事務所」のみ)は不人気職場です。新卒で採用された新人が有無を言わさず配属されることもあれば、懲罰人事に利用される場合もあります。生活保護ケースワークは「3年や5年では一人前にはなれない」という声があるほどタフで高度な業務なのですが、早く異動したい職員が多ければ、経験年数は短くなります。それは、知恵や経験値が職場に貯まっていかないことを意味します。
2022年の堺市は、どうだったのでしょうか? 気になります。経験年数が平均で5年を下回っているようであれば、2018年に私がお会いしたケースワーカーの方々は「ほとんどいなくなっている」ということになりますね。

4.その状況は、なぜ継続したりエスカレートしたりしたのか

隣人殺害の容疑者として逮捕された30歳代男性は、日常的に暴力性を示していたようです。福祉事務所とケースワーカーにとって困難な利用者であったことは確かでしょう。しかし、暴力性の強い制度利用者は時にいるものです。それでも生存権は守らなくてなりませんが、バックに反社会的勢力があるのなら、保護費がその反社会的勢力の収入に化けてしまうかもしれません。
暴力的であったり脅迫的であったりする制度利用者や申請者に対応するためのノウハウは、マニュアル化されて確立しています。担当ケースワーカー1人、係1つ、福祉事務所1つといった単位で対応できる問題ではないからです。役所の他部署、または警察などの他機関との連携は、極めて重要視されています。
現在、容疑者の方は精神鑑定のために留置されています。メンタルヘルスの面からの関与や協力の可能性もありえたかもしれません。が、死者が発生するまで、他機関の関与はなかったようです。もちろん、市役所の中で知られつつも放置されていたのであれば、市は「福祉事務所から生活保護費の不正支給という被害を受けました」と言っていられる状況ではないでしょう。「知ってて何もしなかったのは、なぜですか?」ということですから。
これらの点は、しつこく「なぜ?」と関心を向けてよいところだと思います。

5. 何があれば事件は避けられたのか

殺人が行われてしまう前に、被害者になった方と加害者になった容疑者男性が距離を置く機会があれば、決定的な事態が発生しない状況で時間を稼ぎ、その間に何らかの働きかけをすることが可能だったかもしれません。
人権運動家のはしくれとしては、まことに書きにくいことですが、容疑者の男性に対する措置入院は検討される価値のあった対応だと思います。要件の1つである「自傷他害のおそれ」のうち、「おそれ」ですらない「他害」が十分にあったようですから。福祉事務所が警察に相談して警察が動けば、可能でした。
むろん、いかなる理由や正当性があろうとも、措置入院という強制のスタイルそのものが人権侵害であることは否めません。「法的では強制であっても、入院までの手続き・入院生活・退院・退院後の支援が人権侵害とならず、ご本人が一定の折り合いのもとで地域生活を営める」というものであればよいのですが、そういう成り行きを実現することは、現在の日本の精神保健福祉のもとでは概ね「無理ゲー」です。
現在の日本の精神保健福祉は、措置入院に限らず、周囲を困らせている(とされる)人と困らされている人の両者が「頼れる」「助かる」と言えるものではありません。平時の日常に実現できていないことが、特別な事態において実現されることは、まず期待できません。
今回の容疑者男性は、「法的責任能力あり」とされて実刑判決を受けて刑に服した後で一般社会に戻ってくるのかもしれません。あるいは「法的責任能力なし」とされて医療観察法に基づく対応を受け(終了日が定められていない精神科病棟への監禁で、それはそれで問題ありなのですが)、いつか一般社会に戻ってくるのかもしれません。その時に何があり、社会がどうなっていれば、ご本人も皆さんも私も一定の安心のもとで暮らせるのでしょうか?
措置入院のような強制は、治療やケアや福祉が「その人のためにある」という原則を壊してしまいます。廃止が望ましいのですが、廃止するにあたって何があればよいのでしょうか?
年単位でこつこつと知って考え、日常の話題として話し合うことは、5年後・10年後のために非常に重要です。ぜひ、お願いします。

「あまりにもあんまり」だからこそ、冷静さが大切

今回の堺市福祉事務所の件は、生活保護に関する取材・報道を10年以上続けてきていた私にとっても「事実は小説よりも奇」すぎます。
あまりにも有り得ないことのオンパレードなので、警察の動きとして報道される内容がにわかには信じがたく、見当違いの方向で裏を探ってしまったりしました(そういうツイートは、証拠隠滅せずに残しておくことにします
)。
生活保護が日本にとって必要不可欠な制度であるという事実は、コロナ禍で広く認識されました。おそらく今後も、重要な制度であり続けるでしょう。
制度を直接利用するわけではない方々も、何らかの形で生活保護の恩恵を受けています。「納めた税金を使われて迷惑だ」と考える方は時にいますけれど、その方も、おそらく収めた税金と”使われた”生活保護費をはるかに上回る利得を得ているはず。
そういう重要な制度が、今後も頼れる制度であるために、皆様がそれぞれマイペースで知って学んで考えて話し合うことを続けていただければ幸いです。
異常や非常は、平常や日常と地続きです。

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。