「イベント中止」は何を引き起こすか-生活保護で意地を見せてよ、日本!

 新型肺炎に関連して、数多くの行事やイベントが中止されています。今となっては感染を拡大させないことが最大の課題。他に有効な手段はない以上、致し方ありません。

 しかしながら、影響は思わぬところに及びます。

 2011年、東日本大震災のときのこと。私の住む東京でも計画停電があり、数多くのイベントが中止になりました。地震から1週間か10日ほど経過した時、東京在住の若い友人の一人から電話がかかってきました。「住まいを失いそう」ということでした。

 友人は現役の格闘家です。生計の糧は、主に放課後の小学校の体育館や公民館などでの格闘技教室で得ていました。ところが計画停電と「自粛」によって、それらの会場が使えなくなり、教室を開催できなくなり、ついては収入が途絶えて住宅喪失することは確実となり、私に電話をかけてきたわけでした。

 私の住まいには使っていない部屋が1つあったので、「ウチに来る?」と即答しました。そして彼は居候をはじめました。震災後、状況が落ち着いてくるとともに格闘技教室も再開でき、次の住まいの確保のために必要な資金の蓄えも貯まっていきました。我が家に当時いた2匹の猫とも仲良くなった彼は、半年後に新しい住まいへと引っ越していきました。

 彼の収入がほぼ途絶えていた期間は、1ヶ月もありません。しかし、体力気力精神力のギリギリのやりくりで、自分の人生をなんとか成り立たせて維持している彼にとっては、大打撃でした。そして、再び定住の場を取り戻すまでには、半年かかりました。

 いろいろなご意見があることでしょう。もしも彼が「ふつう」の仕事やアルバイトに就いていれば、住居喪失は避けられたかもしれません。少なくとも、定住の場がない状態を半年続ける必要はなかったでしょう。しかし、格闘家として生きることを手放したら、彼は彼ではなくなります。彼と長い友人関係にある私は、説明されなくても、生存と実存をかけたギリギリの選択であることを理解できました。

 ともあれ、今回の新型肺炎によるさまざまな影響は、数多くの人々から仕事を奪うことでしょう。時給や日給で働いている人々は、それだけで「暮らしていけない」という状況に陥りかねません。「いつも」「ふだん」「ふつう」が一部だけでも途絶えることは、それだけで誰かの何かを奪う可能性があります。格闘家の友人は、教室のために借りられる場所がなくなったことによって、収入を失いました。

 新型肺炎から考えるべきことは、社会保障の界隈だけでも数多くあります。

 2018年の生活保護法と関連する法律の改正で、無料低額宿泊所を「ついの住処」にすることが可能になりました。無料低額宿泊所に長い期間にわたってとどまらざるを得なくなる人々の多くは、いわゆる「住宅弱者」でしょう。高齢・傷病・障害などを抱えた人々が集中して住んでいると、そこに感染症がやってきたとき、集団感染や重症化のリスクが高まることになります。

 このとき、数多くの反対にもかかわらず、貧困ビジネスの寮の劣悪な居住環境や経済的搾取は、温存できる方向となりました(一応、努力規定で「エグいのはダメよ」ということになっていますが)。それ自体が人権侵害、保護費の多くが本人ではなく貧困ビジネスを営む企業の収入になることを容認する方針は「誰得?」です。防火、防炎、非常時の避難などに若干の改善が行われたとしても(というか、それまでがヒドすぎたんです)、高齢・傷病・障害など何らかの弱みを抱えた人々が集中して住んでいるという状況は変わりません。施設収容そのものが人権侵害であるということをさておいても、自動的に感染症に弱くなる形態です。

 問題は、他にもあります。

 無保険状態になった人は「実質的に医療は受けられないけれども自己責任」ということで良いのでしょうか? 

 生活保護の場合、福祉事務所に医療扶助を申請して医療券を受け取る必要があります。行き先や出会う人が増えれば、感染リスクは高まります。むしろ医療控えを生み出しているこのシステム、見直す必要はないのでしょうか?

 とりあえず新型肺炎に関して、医療者でもなんでもない一般市民に出来ることは、手洗いと咳エチケットの励行くらいです。しかし、手を洗いながらでも、「このままでいいのかな?」と考えをめぐらせることは可能でしょう。

 そもそも日本で保障されている「生の基本」が脆弱すぎるところに、問題があるのだと思います。限られた選択肢の中で自分の人生を実現するためのギリギリの選択としても、他に選択肢がなくて選ばざるを得ないのだとしても、あまりにも不安定かつ低収入の人々が多いわけです。だから、簡単に収入や定住の場を失います。せめて住宅が保障されていれば、住宅喪失には至りませんが、その仕組みもあまりにも手薄です。

 予想もつかない数多くの影響が、これから明らかになるのでしょう。個人を襲うどのような災難にも備えられる仕組みとしては、日本には生活保護しかありません。「新型肺炎の影響で、生活保護激増」なら、まだ救いがあると思います。

 日本には意地を見せてほしいです。新型肺炎の影響で生活保護世帯が増えたら、根拠をもって、「まだ日本にはセーフティネットがある。案外捨てたものじゃない」と思えます。期待してます。

 


ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。