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実話怪談の周辺 #6 実話怪談をどのように文章に起こしているか(1)

初めましての方は初めまして。どこかでお会いした方はいつもお世話になっております。実話怪談作家の神沼三平太です。この記事は、実話怪談の執筆をめぐるエッセイ風の内容になっています。実話怪談そのものではありませんが、一部の内容には神沼がどのように実話怪談を書いているかというような舞台裏のような内容も含まれています。一記事100円からですが、しばらくは全部読めます。面白かったら投げ銭してください。

今回は「神沼は実話怪談の文章をどう書いているのか」という話です。真似して良いですよ、というか真似すべきところとか書きます。それでは始めましょうか。

取材はしてあるものとする

今回の内容は、怪談の取材については触れません。何か側から見ても順番がめちゃくちゃですが、思いついたままに書いていますので、そのうち順番を変えたり間に補足的に項目を足したりしたいと思います。とりあえずもう取材はしてあるものとします。

念のために書いておきますが、書きたいものは小説ではなく実話怪談ですから、「実際に怪異を体験をした本人」、または「実際に怪異を体験をした人の話を聞いた人」からの取材をした結果は、その場でメモを取っておいてください。人間は忘れるものですから、できるだけ詳細にメモを取ること。このメモがスタート地点です。

話を整理する

とりあえずメモが手元にあるとして話を進めます。まずは話を整理します。この「話を整理する」のが、実話怪談執筆の肝になるでしょう。また、著者によってどこまでを許諾するのか、というようなことも含めての話になりますので、あくまでも神沼の場合にはと限らせていただきます。

話の整理とは、「要と不要を分けて、不要を切り落とす作業」です。怪異体験談と怪談を分けるのは、この「話の整理」の手続きによります。

まず怪異体験者は、体験した怪異を体験レベルで語る(もちろんそれ以上のことをする人もいるけど、一般的に)ことができます。これを「怪異体験談」と呼ぶことにしましょう。これは基本的に主観的体験であり、客観性が担保されない内容も含まれます(場合によっては幻覚・幻聴・勘違いなども含みます)。怪異体験談は、基本的に体験者の主観的な経験に対する感情を伴います。「怖かった」「不思議だった」「よくあるけどあえて無視してる」、まぁ雑にまとめるなら「違和感」が存在しているといえるでしょう。そしてこと違和感がないと、そもそも怪異体験として想起してくれないことも多い訳です。実話怪談作家はこの違和感を取材しているともいえる訳ですね。このようにして取材された話は、作家の手によって「怪談」として再構築されます。もちろん体験談は重要なのですが、その体験談は多くの場合順番が前後したり、思い出していくうちに細部が付け加わったりと、そのまま利用するのには相応しいとは考えられない形の断片になりがちです(稀に凄い人もいるけどほぼ例外)。

また、怪談作家は関連情報を取材することもあわせて行います。必要に応じて怪異体験の年月日、場所に関する情報、家族との関係も訊きましょう(訊けるなら、後日でも良いので情報をなるべく多く集めましょう)。情報を入手する方法は、直接体験者に訊く場合もあれば、Googleマップなどのツールを駆使する場合もあります(第1回目で書きましたね)。何故このような関連情報を収集するかというと、「体験者本人が見落としている可能性」が含まれているためです。見落としているだけではなく、元々気がついていなかった情報に行き着く場合もあります。それを用いるか用いないかはまた別の話ですが。

怪異体験談は実話怪談の核ですが、実話怪談そのものではないし、極端な話、大きな怪談の一部に過ぎない場合すらあります。この場合、その全貌に近いのは体験者本人ではなく、作家の側ということになるでしょう。しかし、情報を集め、並べたここまでの段階ではまだ「怪異体験談とその周辺情報」に過ぎません。では「怪談」化はどうするかというと、「読者のどの感情をどのように励起させたいか」を想定する必要があります。もちろん怪異体験談の中で聞き取った感情をベースとすることも多いのですが、そこには触れられていない感情を励起させることを目的とする場合もあります。怪談ですから、多くの場合、読んだ人が恐怖や悲しみ、不思議などの感情を抱くようにしたい訳です。

そしてここが実話怪談の創作性という話にもリンクする部分なのですが、この時点で「怪異体験談」そのものとは別物になる訳です。(実はこれは書くという段階以前にも起きている話で、ある怪異体験談を怪談として語ろうと選択した時点で起きる操作になります。怪異体験談は決して取材者を怖がらせようとはしていない訳ですから)。これは大事なことなので繰り返しますが、「怪異体験者は聞き取りをしている作家を怖がらせようとはしていない」のです。つまり、読者を怪異体験談由来の怪談を使って「怖がらせよう(または別の感情を励起させよう)」としているのはあくまで怪談作家なのです。ここは間違えてはいけない点です。

さて、怪談作家は取材した怪異体験を元に「読者」の感情を励起させる作品を著すことになりますが、果たしてどうすれば感情を励起できるか。その手がかりは、作家自身がその体験談を通じてどのような感情を覚えたかに由来することが多いでしょう(それが自然だ)。つまり作家は最初の読者になる訳です。作家は最初の読者として話の再生をするとともに、どう表現すれば、読者に自分が感じた違和感や恐怖や面白さを伝えることができるかを想定することになります。この時点で(自分で調べた)新たな情報を付加したり、あえて情報を隠す場合もあるでしょう。聞き取った情報や、調べた結果などから、どう効果的に振舞うかを決めて書くことになります。

ここまでが一般的な「怪異体験談」を「実話怪談」として作品化するための情報の整理の手続きになります。したがって実話怪談の読者は、ベースとなる怪異体験者の体験と、それを取材した作家がどう読者に伝えたいのかという狙いとの、その両方が重複たものを結果物として手にしていることになる訳です。

長々と書きましたが、ここから先は次の「どの視点で書くかを決める」に移りたいと思います。

どの視点から書くかを決める

神沼は取材した怪談を作品化する際に、どの視点から書くかを考えます。文章には人称というものがあります。一人称、三人称というのが大きな区分ですが、最近ではこれが混在する形で書かれる場合もあります(移人称とかいうらしいです)。名称に関しては無自覚に使っていましたが、移人称に関しては、理由があって神沼は作品中で多用します。

ざっくりと怪異体験者が体験者として自分の感じたもの、見たものをそのまま書くのが一人称的な怪談です。「僕は〇〇だった」「私は〇〇と感じた」というように、語り手の視点からのみ世界を捉えることができます。語り手が幻覚を見ていた場合には、体験者はそれが幻覚であるとはわからないのが、一人称での語りです。「怪異体験談」は一人称の方が書きやすいでしょう。なぜなら怪異体験者の語っていたことをそのままなぞっていけば良いからです(ただし、時間軸を整理したりなどの手続きは入ってきます)。その時思ったこと、感じたことなどもそのままダイレクトに書くことができます。

一方で怪異体験者が登場人物の一人として書かれるものが三人称での記述です。まぁ、あくまでもざっくりとですが。三人称の場合は、登場人物となるAさんBさんCさんの動きを別々に俯瞰して書くことができます。再現ドラマ風になることが多いかと思います。複数の体験者がその場にいた場合には、こちらの方が書きやすいかもしれません。

実は実話怪談を書く場合にはもう一つの視点を選ぶことができます。取材者が体験者に取材している体で書かれる場合です。これは「今体験者がどんな表情で語っているか」を記すことができる書き方です。平山夢明氏が発明したといわれる「平山メソッド」と呼ばれる書き方が代表例でしょう。こんな感じに整理できそうです。

「取材開始時の体験者の発言」
「体験者の回想から構成された回想劇」
「取材後の体験者の発言」

これによって何ができるかというと、体験者に対して取材している感が出ます。どの視点を用いても良いと思います。実話怪談の代表的な書き方の一つになっているかと思います。書きやすいものでどうぞ。

ちなみに神沼が移人称を使用するのは、三人称で書き始めて、モノローグを一人称で入れていくというパターンです。これは地の文が三人称を維持しながら視点を体験者の一人称に固定することで、次第に一人称的な怪異の追体験をすることができるようにという手法です。


今回は長くなってしまったのでここまでです。次回は実際に書いた後で、どのような形で推敲しているのか、というような話をしていきたいと思います。

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