多忙にしてしまう

今日も忙しい忙しいで時間が通り過ぎていく。

師走は言わずもがな。一月は行く。二月は逃げる三月は去る。四月は死ぬ。今年も同じように五ヶ月間はあっという間に終わってしまうのだろう。その間に何か成果が挙げられるだろうか。人生をより豊かにできるだろうか。

年末から今月の十二日まで、二月末に出版される単著の原稿を書いていた。あっという間にそれから一週間経っている。一月は学期末の季節。本業で試験やら成績つけやら。その合間に今度はゲラが上がってきて1/3程度読んだところで止まっている。週末は家人の華道の師範が代替わりするとのことで、運転手をしたり手伝いをしたり。

結局寝る時間がない。昨日は寄った喫茶店で一時間余り意識を失っていた。体力が限界らしい。

多忙なのが悪いとは言わないが、体調を崩すほどに忙しいのは間違っているだろう。若い頃にはできた無理が効かなくなって、無理のツケを利息込みで払い続けるのはあまりよろしくない。食べる量と仕事の量を減らし、運動と睡眠の量を増やす。少し楽にする。家のこともできるようにする。医者に行ける日を作る。しかし、そう思う自分と、それに反論する自分がいる。

ダメですよそんなことをしたら。楽しみにしている人、頼りにしている人が沢山いるじゃないですか。あなたは休んだりしたらいけませんよ。

そういう心の声だ。そうだね。そうですね。僕は頷く。

昔から、お前は頭が悪いんだから、人の三倍努力しないと人並みになれないと言われてきた。きっとそうなのだろう。親は優しいから自分のことを三倍で追いつけると励ましてくれたが、本当は三倍では足りないのだ。五倍くらいは頑張らないと、人並みにはなれない。今はそう感じている。もっと努力すればよかった。

まだ体を壊していないんだから、本気になっていないんだよ。心だってまだまともじゃないか。ニイチェを見てみなさい。漱石だって神経衰弱を患っただろう。本当に本気で取り組んだら、人はまともでなんかいられないはずなんだよ。まだ君の心がまともなら、それは本気になって取り組んでいないんだ。余裕があっていいね。遊んで暮らせて羨ましいくらいだ。

そう嘲るように囁く者が、自分の耳の中にいる。だから、休んではいられない。のろのろと無様に這いずり回りながら、少しでも取り繕わなくては。

多忙なのは、そういう鎧を着けていないと、自分に嘲り殺されてしまうからなのです。自分が後ろ指を刺すのです。

どうしてあなたは遊んでいられるんですか? 恥ずかしくはないのですか? せめて恥ずかしくない程度には取り繕ってみた方が良いんじゃないですか?

今日も。
明日も。

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