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アフガニスタンの現状とタリバン

アフガニスタンについて

人口は3500万人ほど。構成民族はパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人他。
農業と牧畜への依存度が高い。ケシ栽培が盛んで、アフガニスタンの農作物の半分を占める。世界のアヘンの80%が製造されている。

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アフガニスタンの歴史

ムガル帝国、サファヴィー朝、オスマン帝国の三国が覇を競っていたころは、それらに従属していた。年表を見ると、それらの国が代わる代わるカンダハールやカブールを征服している。
18世紀に独立。19世紀に、ロシアとイギリスのグレート・ゲームに巻き込まれ、四次に渡る戦争を経験している。
20世紀初頭にイギリスから独立。

アフガニスタンの地理

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大部分が山岳地帯。もともとの国土はパキスタン北部まで広がっていたが、平野部はイギリスにより引きちぎられた。
南東部のパシュトゥーン人の領域がパキスタンで分断されている(ドゥランドライン)。パキスタン側はFATA(連邦直轄部属地域)と呼ばれる、パキスタンの法律が及ばない領域。

アフガン戦後からタリバン崩壊まで

ソ連との戦争後、ムジャヒディンがそれぞれ派閥を作り、各地に割拠する。そこにパキスタン支援のタリバンが介入。94年に設立され、96年には北部の一部を残して全土を制圧。タリバンは、パシュトゥーン人が主導する民族的要素を持ち、イスラム法による統治を行う。
2001年9月、同時多発テロ後、ビン・ラディンの引き渡しを要求した米軍によって崩壊する。

2001年以降の動向

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タリバンはパキスタンのFATAに逃亡。
その後数年間は、南東部で治安事件を起こす。「夜の手紙」という政治ビラを出して住民を脅したり、見せしめに住人を襲撃したり、女子学校の襲撃をしたりなど。2007年には北部でも自爆テロ事件を起こすようになる。
2008年2月、米国のマコネル国家情報長官が、タリバンが10~11%、中央政府が30~31%、残りは地方の支配下にある、と発言した。
2019年6月段階で、タリバンは全国の地区の12%を掌握。34%で政府軍と争っている。
NATOは2014年に撤退。米軍も2014年に、訓練などの名目で一万人ほど残して撤退。国内の治安部隊がそれの代替となるほど強力でなく、タリバンが相対的に有利な状況のようだ。また、政府が腐敗していることもタリバンの伸長を助けている。

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