不正解を出し続ける苦悩




「正解の生き方なんてないよ」


よく聞く言葉。


その言葉は、正解でもあり不正解でもある。


なんか訳がわからなくなってきましたね。





正解の生き方は確かにない。
それがあったらみんなその生き方をする。
だから正解の生き方はない。






それを踏まえて、問いたい。
(年齢や職種は適当です)


一般企業で8時間、週5で働いている正社員30歳
or
コンビニで3時間、週2で働いてるフリーター30歳
or
働いていない30歳


あれれ?
正解の生き方なんてないのに、
何故か一番上の生き方が正解みたいじゃないですか?

もちろん勤労の義務や納税の義務はあるとしても、
なんだかちゃんと働いてる30歳が正解な気がしませんか?


こりゃおかしいぞ〜❓




ってなわけで、みんなの中で正解、
つまり正しい生き方って概念が確実に存在しうるわけで。

その概念が存在する世間の中で、
僕は間違いをし続けてるわけなんです。

それも間違いだと分かりながら、
間違いの生き方をしなくてはいけないのです。




学生時代、先生に指された時、絶対に正解しなくちゃいけないみたいな空気感ありましたよね?

間違えたらみんなにバカにされる。
話聞いてないと思われる。
先生に呆れられる。
怒られる。



それは世間も同じで、

僕も2年前、大好きな親戚のおじちゃんに
「今何やってるんだ?」って聞かれて

「焼肉屋でバイトしてる」って言ったら
「ちゃんと就職しろ!何やってんだ!」って
怒られたんです。


あーやっぱり僕の生き方は間違えてるんだと、
そして大好きな親戚のおじちゃんにすら理解されないのだと、酷く落胆しました。

それでもちゃんと就職して仕事をするということは自分にはかなり難しく、
不正解と知りながら、不正解を解答していくような行き方をしているのです。



いつ先生に指されるかわからない恐怖。
つまり、「なんの仕事してんの?」って言われるあれ。

「1+1は?」って聞かれて
絶対に2だと分かっているのに
「3」と答えなくてはいけない現実。


それ以外にも、

「〇〇くんってなんか楽しそうでいいね笑」と
正解の枠の中にいる人が、外野の僕に目掛けてそう言う。

見上げられるように、見下されている。

それでもせめて元気で明るく振る舞わないとやってられないから、輝度をMAXまで上げて

「まあね!楽しいよ」っていう。

iPhoneの画面と一緒で、明るくすればするほどバッテリーは持たない。
だから僕にはかなりの充電時間がいる。

不正解なのに、時間がいるし金もかかるし、
何やってんだろうな。
と冷静になったらまじでポックリ逝っちゃうので、
せめての誤魔化しで楽しそうにしている。




真冬のウーバーイーツ。
大雪の中チャリ漕ぐ私。
街中、ガラス越し、暖かそうな場所で、美味しそうなご飯を食べる、綺麗な服を着た人たち。
横目で見ながらチャリを漕ぐ。
手が悴んで動かない。
楽しそうな人たちの笑顔が嘲笑されてるように感じる。
いつかあっちの世界に行くと誓い、チャリを漕ぐ。
現代版マッチ売りの少女。


ただ!こういう時に感じる「惨めな思い」は
めちゃくちゃ大切にしている。

だって、なんか、将来幸せになりそうじゃん。
将来幸せになった時、今が辛いほど美味しいから。
だから惨めだと思いつつ、落ち込んだりはしていない。
それが最後の自分にできる防御だから。











幸せになるぞ〜〜‼️


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