コインランドリーに恋は落ちてない



ただ過ぎる日常。



そこに大抵の変化はない。








いつでも事件を待っている俺

vs

平穏無事で無難な日々を求める俺















ファイ‼︎








幸せとはなんなのかを定期的に自分に問いただす。

そしていつも同じ結末にたどり着く。

それをうまく言語化した一文がある。

「幸せって大きく分けて二種類あると思う。ひとつは日常に帰ってくるための非日常の幸せ。もうひとつは、非日常に行くための日常の幸せで」
20代で得た知見/F


僕にとっての非日常の幸せは、

友人と遊ぶことと、年に1回起こるか起こらないかの色恋沙汰。




僕にとっての日常の幸せは、

ご飯を作って、食べて、テレビをみて、寝ること。






素晴らしい生活。




でも非日常の幸せが最近、

足りない。少ない。起こらない。

そんなんじゃ命の栄養補給が出来ない。








友人とご飯に行く機会も減り(私の金銭事情により)



日常の幸せばかりになってしまっている。











どちらかが欠けてしまうと、幸せとは言い切れない。

だから





私は今日もコインランドリーに行く。













私は「脳内ドラマチック人間」である。


ドラマの事象をどこかあると思ってる。

人生で一度たりとも、ドラマチックが起きた試しはない。


だけど、どこかドラマが起きると思ってる。







朝起きたら超能力使えるようになると思ってる。


男が現れて「人生変えてみないか?」って言われると思ってる。


急に大金を得て、人生狂わされると思ってる。


コインランドリーに行ったら、美女がいて、色恋沙汰が起きると思ってる。







の、



最後のやつ。


コインランドリーのやつ。




それが一番ワンチャンあると思ってるので、



今日も僕はコインランドリーに行く。







これが例えば、Barじゃダメなのか?と疑問の声があると思う。


そりゃBarの方が出会いは多そうだし。










うーーーん。


Barはドラマチック度が薄い。




Barで色恋沙汰が起きるのと、コインランドリーで色恋沙汰が起きるのじゃ、

圧倒的に後者の方がドラマチック度が高い。



僕は別に出会いを求めてるわけじゃない、

非日常、ドラマチックを求めてる。

だから、コインランドリーがいい。







コインランドリーに来た。


コインランドリーは好きだ。

洗剤の匂いがいい。

洗濯機が回ってるから程よい音。うるさくもなく静かでもない。

回ってる洗濯機も見てられる。

1時間くらいなら余裕で待ってられる。



そして、洗濯、乾燥が終わる。

洗濯物を取り込む。

コインランドリーを出る。












今日も色恋沙汰は起きなかった。

慣れたもんだ。

いや、起こるはずなどないんだけど。













今日も日常の幸せだけが積もる。













明日もコインランドリー行く。

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