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宇宙映画で米ソが対決「惑星ソラリス」と「未知との遭遇」

「惑星ソラリス」、「未知との遭遇」って、どんな映画?

もし今の日本、地球、現実から離れた場所に行きたいと思っているなら、この二作品はおすすめかも。

制作された年代、ジャンル、撮影方式、時間長

惑星ソラリス
年代:1972年
分野:SF物語的心理&哲学ドラマ
撮影:カラー、シネマスコープ
時間:2時間45分

未知との遭遇
年代:1977年
分野:スペースオペラ的SF
撮影:カラー、パナビジョン
時間:2時間15分

物語をひとことで言うと

惑星ソラリス
惑星ソラリスの謎を探る中で科学者が未知の知性体と出会う話。


21世紀、人類は宇宙に進出。未知の惑星ソラリスの研究が進む中、研究チームから連絡が途絶える。調査のために派遣されたクリスはソラリスの軌道上にある宇宙船に入るが、そこで出会った研究チームの変貌ぶりに驚く。
彼らは何かを隠している。惑星ソラリスが何か特別な影響を科学者達に与えている事が次第に分かり、その影響はやがてクリスにも及ぶ。
クリスは思いもかけない現象を体験。彼は、それが現象なのか事実なのか、想像なのか、自分の存在も含め曖昧になっていくのだった。

「惑星ソラリス」のチラシ
「惑星ソラリス」のDVD

未知との遭遇
地球外生命体が主導し、人類と出会う話。

中東の砂漠。遙か昔に行方不明となった船や航空機などが時代を超えて次々と姿を現す。インドでは天から音楽が聞こえる。各地で起こる不可解な現象の謎を探る国家連携プロジェクトが始動。
一方、UFO遭遇がきっかけとなり謎を追う一般人もいる。ある男は何かのイメージが頭に浮かび、イメージの現実化に夢中となる中で、子供が行方不明になった女性と出会う。二人は謎を突き止めるため、イメージの中に浮かんだ特異な姿の山に向けて出発する。

「未知との遭遇」テアトル東京で公開時のパンフレット

1978年の東京で米ソが対決

「惑星ソラリス」は日劇文化で1978年に見た記録があり、「戦艦ポチョムキン」と同時上映だった。チラシ、DVDは別の時代に入手したもの。「未知との遭遇」 のパンフレットは、テアトル東京での1978年のロードショー公開時に入手した。つまり二作品を同じ年に見ている。東京で米ソが映画を通して対決していたと考えると面白い。

当時のチケット

若い頃はこの二作品の内、ソラリスの方がしっくりきた。お話としては地味だし、特殊効果も安っぽい。舞台は狭く閉ざされている空間。「未知との遭遇」は特殊効果満載、アドベンチャーと大迫力の壮大な映像でエンターテインメント性はとても高いのだが、私にはどこかしっくりこなかった。

その頃の自分は 内省的であったので、あっけらかんとしたスペクタクルは心の中に入りにくかったのかもしれない。両方とも高評価だが、どちらを選ぶかとなると自分はソラリス。ソラリスだけDVDがあるのは、きっとそのせいだと思う。

米ソが映画で見せた異なる宇宙像

この二作だが、「惑星ソラリス」はソビエト時代の映画、いわば国家の一事業として認可された作品。つまり作家が本当に言いたいメッセージは隠されていると思って良い。言いたいけど言えない、 描きたいけど描けないというストレスが、SFというオブラートに包まれている気がする。

一方の「未知との 遭遇」はいわゆる自由の国アメリカで、民間映画会社が好き勝手に作ったSFファンタジー、興業成績至上主義作品の典型。 立場が全く違うためか宇宙の表現が違う。下記は「未知との遭遇」のオフィシャルトレーラー。

「惑星ソラリス」は未知の天体ソラリスを描いているはずなのだが、良く見ると、実は地上を描いている事に気付く。目を空の果てに誘導しておきながら、実は足下の何かを訴えている。自分の父との話からスタート、ラストシーンまで、主人公のクリスは地球から離れていないようにさえ見える。

下記は製作元のモスフィルムのオフィシャルサイト。いくつかの作品が、なぜか全編無料で公開されており(2022年7月現在)、その中に「惑星ソラリス」も含まれている。ただし英語字幕。

2作品で見る地球外生命体の違い

惑星ソラリスで遭遇する超知性体については、宇宙人というよりは自分の心の中の何かの憑依のように見える。哲学的な作品で結論が分かりにくい作品かもしれない。宇宙人は登場するが鏡として登場する。地球上にいる私たちが日々感じてい る<何か>と近い存在だ。

「未知との遭遇」はSFファンタジーなのだが、自分たちには関係ない場所で演じられるアトラクションのような描写。日常生活と完全に分断されたストーリーで心理的な延長がない。ただただ、ああ凄いねという感じ。とはいえ、45年も前の映画とは思えない映像、きっと圧倒される。

宇宙人に出会う事が何を示唆するのかが謎で、当時、「これは現実逃避映画だね」という議論をした事を思い出す。特にディレクターズカットとして、後に公開され たバージョンには当初公開時とは別のラストシーンが追加されている。

そのシーンはディズニーランドのエレクトリカルライトパレードのような描写で、現実逃避感が更に増す。宇宙人は赤裸々な姿で登場するのでイマジネーションは産まれない。正直、会いたいとは思わない姿だった。

ソラリスの雨と都会的な光

私の心に残っているのは「惑星ソラリス」の雨のシーン。この <雨>にはきっと何かが潜んでいる。

雨は水であり、ソラリスの海とも通じる何かがある。雨に打たれた主人公、海の中の主人公。その水から主人公は逃れることができない。そして、雨が降る中で親子の結びつきが描かれる。静かで重い。

「未知との遭遇」は光を視覚効果として効果的に使い、前半ではUFOの姿を明瞭に描かない。一方、この光は鑑賞後には都会のネオンサインのような印象を瞼に残す。映画で人が受ける印象には、映像以外の何か別の要素があると思われるのだが、この作品には映像以外はない。見たままを受け入れられる人に合う作品なのだろうと思った。

ただ、今、もし「未知との遭遇」をリメークしたら、ソラリスのような内省的な色彩が出るかも知れない。世の中の変化がそうさせる気がする。

デビルスタワーについて

「未知との遭遇」に出てくるワイオミング州の特異な形をした山、<デビルスタワー>についてであるが、 これは、アメリカ原住民が名付けた名前ではないそうである。白人によって誤訳されたのか、意図的に改変されたのかは不明だが、悪魔の塔という名前は元々の名前ではない。

いかにもUFOが現れそうな形の山だが、原住民からすれば、地を守る神が宿る神聖な地であったのかもしれない。この映画によって誤ったイメージが定着した可能性があるとしたら?もし富士山が将来、外国人に魔の山と呼ばれるようになったら私たち日本人はどう思うだろう。文化は言葉だけで破壊されてしまう。

キャスト、監督、スタッフ、制作会社

惑星ソラリス
出演:ナタリア・ボンダルチュク、ドナータス・バニオニス、ニコライ・グリニコ

監督:アンドレイ・タルコフスキー
原作:スタニスワフ・レム
制作:モスフィルム
配給:日本海映画

「惑星ソラリス」の原作本

未知との遭遇
出演:リチャード・ドレイファス、テリー・ガー、フランソワ・トリュフォー、メリンダ・ディロン
監督:スティーブン・スピルバーグ
音楽:ジョン・ウイリアムズ(StarWarsの)
制作:コロンビアピクチャー(現ソニーピクチャーズ)