『ルックバック』 自分で自分を信じてやること

インターネットの普及に伴い、人間の生活は大きく発展し、目まぐるしく変化してきたと言えるだろう。「インターネットがない世界を想像する」というのは、現代に生きる僕たちにとってもはや過去に戻ることと同じくらい難しいのではないだろうか。明日の天気を占うために靴を飛ばす時代は終わり、うまく撮れているかドキドキしながら現像屋に走ったり、遠い国の情景に思いを馳せなくとも、確認するのに10秒も必要としない。
しかし便利な反面、当然危うさも秘めている。
何もかもが見えすぎてしまうほどに可視化された社会。そんな社会は時に、才能や努力もまざまざと見せつけてくれる。

藤本タツキ先生の『ルックバック』を観た。自分を漫画の天才だと信じてやまない藤野と引きこもりの京本が出会い、"描く"こととひたむきに向き合っていく物語だ。このnoteに辿り着いたあなたは既に、あちこちのメディアで大絶賛されているのを目にしているかと思う。
もちろん僕も大好きな作品だ。もしあなたがまだ観ていないというのなら、ぜひスクリーンで体験してほしい。
このnoteを読むのはそれからでも遅くないと思う。




      この先、ストーリーの内容に
         言及しています
      未視聴の方はご注意ください








主人公「藤野」は学級新聞に載せるための4コマ漫画を毎週寄稿しているクラスの人気者。同級生からチヤホヤされていたが、その態度ははっきり言って少し鼻につく。それほどまでに自分の才能を信じて疑わなかった。
対して、もう1人の主人公とも言うべき「京本」はまるで正反対だ。引っ込み思案で人見知りで引きこもり、
訛りはキツいし髪もボサボサだし、おまけに不登校。
ひょんなことから学級新聞に名前が掲載されるようになるのだが、そのときもクラスメイトの口からは「誰だっけ?」という言葉が漏れる、まさしく藤野とは対極のキャラクター性である。ただ、交わることのなかったはずの2人を繋ぐ要素が1つある。それが漫画だ。
4年生のとき、京本も漫画を載せたがっているので1枠譲ってほしい、という話を担任から聞かされた藤野。
了承こそしたものの、天狗になっていた藤野は「不登校のやつなんかに漫画が描けるのか?」と嘲笑気味。しかし翌週の学級新聞で京本のその圧倒的な画力を目にした藤野は愕然とする。横に並んだ自分の漫画がひどく稚拙に見えた。

「あいつは私が学校に行ってる間も絵描いてるんだ……同級生に私より絵が上手いやつがいるなんて許せない……悔しい!悔しい悔しい悔しい!!」

その日から藤野は絵にすべてを注いだ。家族やクラスメイトになんと言われようと「あいつより上手くなりたい」の一心で練習を続け、そして2年の月日が流れた。デッサン用のスケッチブックは山のように積み上がっていた。しかし、京本との差はなかなか埋まらない。
6年生の夏、とうとう藤野はペンを折ってしまう。
やがて季節は春へと移り変わり、卒業式の日。担任から京本に卒業証書を届けることを頼まれた藤野は、しぶしぶ向かった京本宅で、京本から藤野の大ファンであると告げられる。

「藤野先生は漫画の天才です!」

帰り道は雨が降っていたが藤野にはそんなこと関係なかった。プライドを、自尊心を、鼻を、筆を、何もかもを粉々に砕いたあの京本が、自分の作品を認めてくれた。漫画を面白いと言ってくれた。あの日悔しさを噛み締めながら走ったあぜ道を、今は喜びが舗装している。道はぬかるんでいたが、その足取りは力強いものだった。
藤野は机に向かい、再び漫画を描き始める───。



藤野は自信家だ。褒められればすぐに調子に乗り、謙遜などせず、身の程を知らない。京本相手にカッコつけたくてつい見栄を張ってしまう。そんな藤野の立ち振る舞いを見たあなたは苦い顔をしながら「好きになれないかもな」と思ったかもしれない。かくいう僕もなぜだか恥ずかしくって目を覆いたくなった。でもそれは、藤野が疎ましかったからではなく、ただ純粋に、自分のためになりふり構わずに頑張れる藤野が、自分の努力を正面から受け止められる藤野が、ひどく眩しくて、とても羨ましかったんだと思う。

別の場面、卒業式の日に京本が藤野と出会わず、藤野は漫画をやめたままの世界線の、もしもの話。
京本の通う美術大学に凶器を持った男が侵入、京本が男と遭遇するも駆け付けた藤野が間一髪で助けるシーン。
「あなたの漫画が大好きでした、どうして描くのをやめてしまったんですか」と問いかける京本に藤野は満面の笑みを浮かべて「最近また描き始めたよ!」とピース。これが本当なのか、それとも褒められたのが嬉しくって咄嗟に出た言葉なのか。答えは描かれていないが、それがどちらであれ、きっと藤野は病室で漫画を描いているはずだ。



僕たちは毎日、手に余るほど多くの人生を見ている。
10分もネットサーフィンをやれば、あなたも──藤野が京本に打ちのめされたような──強烈な出会いを味わうことができる。自分にできないことをいとも簡単にやっちゃうような、そんなやつらばっかりで自信なんてどれだけあっても足りないだろう。藤野のように悔しさをバネにできるのはほんの一部で、さらに諦めず頑張り続けられるのは、きっともっと少ない。

藤野は京本に認められたことで復帰を果たした。誰かに認めてもらうことには、それほどのエネルギーがあると思う。では、藤野を初めて認めてくれたのは、言い換えるなら最初のファンは誰だろうか?他の誰でもない、藤野である。絶対。一番のファンは京本かもしれないが、初めてのファンは間違いなく藤野だ。
自分を天才だと、これなら認めてもらえるはずだと、心から信じられるほどの努力をしたからこそ、京本の言葉や漫画が再び彼女を突き動かすに至ったのだ。
何においても、挫折は避けられないことだ。その上で、まずは自分で自分を信じてやることが再スタートの合図なのではないかと思う。


何もかもが見えすぎてしまうほどに可視化された社会。そんな社会は時に、才能や努力もまざまざと見せつけてくれる。
だからこそ、そんなときにこそ、振り返ってほしい。
何もないと思っているあなたの背中にも、大きなツルハシが刺さっているはずだから。
『ルックバック』にはそんな、現代を生きるすべての人へ向けたエールが詰まっている。


あとがき
『ルックバック』という作品は、100人中90人が名作だと思うと答えるだろう。残りの10人は名作である。それだけに世の中には素晴らしい感想で溢れている。僕の感想は核心を捉えたものではないかもしれないし、ハチャメチャに飛躍した話をしているだけなのかもしれない。
だいたい、僕は文章を書くのだって別に好きじゃない。楽しくないし、メンドくさいし、超地味だ。1日中書いていたってちっとも進みやしない。藤野の言う通り、読むだけにしておくのが正解だと思う。
それでも僕は書く。振り返ってみて「なんでこんなもの書いたんだ」と思うものばかりだけれど。そこに解釈の正解や不正解は関係ない。書きたいから書くし、書けるなら書かなきゃいけないと思う。

いつか振り返ったとき、僕がやりたいようにやってできた作品が"彼女らにとっての4コマ漫画"のように誰かを救えていたなら、小さいながらも創作者の端くれとして、それ以上に嬉しいことはない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?