反出生主義の話。

注意事項
反出生主義に共感するものの反出生主義ではない、子どもを持つ予定がある人間が書いた記事です。不快になる可能性がある方は読むのをお控えください。

二つ目のnoteの記事に何を書くか迷った末に、結構重いテーマを選択することにした。
私はちゃんと調べてはいないのだがおそらく生まれつきセロトニンが少ないか、受容体が少ないあるいは機能しにくいか、そういう体質だ。それで、幼い頃から常に不安感でいっぱいだった。世界が怖かった。自分がこの世に存在することが怖かった。もっとも恐れていたのは、いつかかならずやってくる死のこと。存在すれば、死がやってくる。いまでもこの死への不安はとても大きい。はやい話がタナトフォビアなのである。
しかし世の中の人の多数は、私のように極度の臆病者ではないし、セロトニンはまだ多いんだろう、楽しそうに生きている。基本楽しくて、時々苦しみ悲しみ。私は全く逆であるし、しかも時々ある楽しさ嬉しさは、通底して流れている苦のテーマの前ではあまりにもちっぽけだ。
私は反出生主義という考えに大変共感した。しかし冷静になってもみる。
たしかに私にとっては、生の苦痛は大きかった。だが全ての人にそれは当てはまるのかと言うと、そうではない。
自分が子どもを持つとしたら、苦痛の大きい子である可能性は普通にある。だって私の遺伝子を受け継ぐのだから、セロトニントランスポーター遺伝子は絶対に不安を感じやすいタイプになるんだろう。夫が不安を感じにくいタイプみたいだが、私の半分は確実に、不安でいっぱいの子どもになってしまうだろう。
だが日本人の多くは不安遺伝子を持っている。どのレベルで発現するかは時の運……と言う名の、他の遺伝子との組み合わせによるだろう。
だが苦しむ子供が生まれる可能性があるくじ引きがあり、それを「引かなくてもいい」「引かなければ子供は持てない」「引けば、どんな子かはわからないが生まれる」という状況下で、引くか引かないか。
子供を産むのか、産まないのか。
結婚して4年目になる私は、この岐路に立った。
そして私はくじを引いた。悩んだ末に引く方を選んだのだ。だが「来てくれる」かどうか、それは神の思し召しと考えて、くじを引いた。
そして、胎児は果たしてやってきた。うまくいけば年末に生まれてくる。

人によっては私のことをクズだと言うだろう。
だって私は障害(精神。ASDと極度の不安障害)があるのに子を持とうと考えたのだから。
私は、旧優生保護法の問題を中心に優勢思想について勉強した。反出生主義も勉強した。散々考えた。私は、子供と共に生きることにするかどうか。生まれてきたとして、その子供の人生を生きやすくするための努力をできるのか。発達障害が遺伝したらどうするか。この点に関して。私は発達障害を弱みだとは考えていない。たしかに弱点ではあるが、考えようによっては強さにもなりうると思うから。もし遺伝したら、一生懸命子供という個人の、すばらしいところを一緒に探して伸ばそうと思う。もししんどくなったら、福祉を頼るのも問題はない。皆さんの税金だから無駄遣いするなって?そうですね、私だって障害者の福祉を受けている。無駄だろうか。私は無駄な生き物だろうか。

「迷惑をかけるな。迷惑をかけるくらいなら死ね/生きていたくない」という考えが至るところに存在するということ。日本社会の大きな歪みの一つだろう。
福祉はみんなのためにある。障害者や高齢者のためだけにあるのではない。誰しもが高齢者になるし、障害者になる可能性がある。そんな状態になっても優しく受け入れてくれるだろうと確信できるような福祉があれば、人々はその国で安心して生きていける。
……なんか「れいわ新選組」のようなことを言っていますね。でも確かにそうだと思うのです。彼らの政策が実現できるかは分かりません。でも野党は、いつもそういうものです。夢物語を語るのです。でも、努力と論理的議論と、みんなの意識があったら少しずつでもいい方向に変わるのです。

私は障害を持ちながら子供を産み、育てることについて否定的な考え方を、社会から根絶させたい(……根絶、はいいすぎか)。たしかに問題はある。障害のためにちゃんと育てられないかもしれない。子供に不便をかける、それどころか子供の人権を踏み躙るようなことになりかねないかもしれない。
だがそんなことにならない、そんなふうにはしない。私個人も頑張る。社会も変わっていくべきだ。
障害のある人だけではない。性的少数者が子供を育てる選択。貧困層が子供を育てる選択。
もちろんあえて、子供を持たない選択をすることも素晴らしい可能性の一つだ。だから、絶対に、どんな人でも産んでいいんだ!産むべき!絶対産むべき!なんては声を大にして言いたくは無い。人には色んな事情があるのだから。

反出生主義、私はおかしいとは思わない。むしろ賛同すらする。でも私は産む予定なので、反出生主義者ではない。無論出生賛美者でも無い。常にニュートラルな位置にいながら、いかに善く生きることができるかを模索していきたい。子と共に、ひいては人々とともに生きる人でありたい。

人は誰も、生まれてきたいと思って生まれてくることはできない。
だが、生まれて仕舞えば、できるだけ幸せに、苦痛が少なく笑って生きていたい。それが本能だ。
いまこの瞬間も苦痛を感じている人たちがいる。私も多分今飲んでいる抗不安薬の薬効が切れた頃、また落ち込んだ気持ちになるんだろうと思う。
でも笑って生きていきたい。苦痛を感じたく無い。
全ての人のために。

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