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落ちるときは落ちる/オルヴィエート/遠いところまでゆく練習/『青がゆれる』

 5月9日。午前8時起床。昨日は精神的になぜか不調で、カレーを食べてガチャガチャを回し、映画館に出かけてゴジラとコングが闘う映画を観たりしてなんとか自分を励まそうとしたけれどうまくゆかず、なんの仕事もできないまま22時に就寝した。10時間ほど眠った計算になり、頭と腰が痛い。
 鍋で玄米を炊いているあいだ、さっと部屋を掃除したりインスタを眺めたりする。最近、なんとなくメンタルが安定しない。すぐに苛ついたり、疲れてしまう。いくら玄米を食べ、植物を育て、部屋を清潔に維持し、夜には香を焚いてハーブティーを飲んでいたとしても、落ちるときは落ちる。
 自分のふるまいに自分で腹を立てたり、落ちこむことも多い。たとえばアルバイト中、相手の機嫌に引きずられたとき。無礼には礼儀で応えるべきだとわかっていても、いざ目のあたりにすると、怒りとも恐怖ともつかないざらつきで心臓がにがくなる。
 子どもの頃から、人間関係に対する姿勢の根本に怯えを据えている。傷つけられるのが怖いし、傷つけるのも怖い。馬鹿にされるのが怖い。相手の機嫌を損ねるのが怖い。つねに恐怖し、張りつめている。緊張している。自分のやることなすことすべてが間違っていると感じる。ひとと相対する、その姿勢のどこかが致命的に誤っていると自覚していて、それをいつか誰かに指摘されることを、心底から恐れている。
 松本には、ひどく近しい友人も恋人もいない。わずらわしいことがない半面、接客している数時間が、一人が基調の日常のなかできわだって濃く浮いて感じるのだろう。上司や同僚は親切でやさしく、だからアルバイト自体は嫌ではない。それはとてもいいことだと思う。
 午前中、仕事をする。かなりとぎれとぎれに書いているせいか、こちらの調子も安定しない。数時間かけてなんとかノルマの枚数を達成し、昼食の支度をする。最近せいろを買って、なんでもかんでも蒸している。今日はにんじん、ブロッコリー、ソーセージ、ロールパンを蒸した。野菜を醤油とバターにつけ、アマプラで最近公開された『ジェレミー・クラークソン 農家になる』の新シーズンを見ながら食べた。
 アルバイトに行くまでの時間、図書館で借りた地球の歩き方をぱらぱらと眺める。今月末からしばらく、イタリアに行く。江國香織を読み、須賀敦子を読み、中学生のころからずっと憧れていた国。円高ではあるけれど、タイミングを待っていればきりがないし、時間と体力がゆるすうちに行ってしまおうと思って航空券を買った。ミラノから入り、ヴェネツィア、フィレンツェ、シエナ、オルヴィエート、そしてローマから抜ける予定だ。ある程度の計画は立てているが、このとおりいくはずがないとわかっている。それでもいい。みたいものをすべてみることができなくてもいい。ただイタリアに行くだけでいい。行って、ものをたべて、歩いているひとびとをみて、知らないベッドで眠るだけでいい。去年の石垣島、ハノイに続き、一人で遠いところまでゆく練習をつづけている。
 15時半になり、アルバイトに出かける。今日はとくべつこわいこともいやなことも起きなかった。帰宅すると22時。うすく切ったズッキーニと豚肉をナンプラーで炒めて食べる。明日は新刊『青がゆれる』の発売日だ、と洗い物をしながら急に思い出す。見本をいただいたのが今月頭で、なんだかもう発売していたような気がしていたけれど、明日だった。
 美しい、青い表紙をつくってもらった。実家の居間で「ジェリー・フィッシュ」を書いている16歳の自分に、せめて29歳まで生きていれば、いま書いてるそれが文庫になるよ、悪いことばっかりじゃないよ、と教えてあげたい。手伝ってくれた編集者や出版社のために売れてほしい、ともちろん思うけれど、アマゾンでレビューを書かず、SNSにも感想を書かず、ただ心のなかで「この本は自分のための本だ」とひっそり感じてくれるような読者がひとりでもいてくれればいい、とも思う。もしいたとして、私は永遠にその存在を知ることができないけれど。
 日付が変わる前にベッドに入る。明日、早起きできたら上高地にいきたい。川原由美子『観用少女』をすこし読み返して、0時半ごろ就寝。

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