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発端 ――3度目の自殺未遂で四肢麻痺になった!


はじめまして。四肢麻痺で赤い電動車椅子の詩人ミカヅキカゲリです。


わたしが四肢麻痺になったのは3度目の自殺未遂が原因だった。


(美月要=ミカヅキカゲリです。ノンフィクションです。)




1ー1.発端


 もうちょっと発見が遅れていたら、死ねていたはずだった。或いは、もっとふつうの病院に運ばれていたら、確実に死ねていたはずだ。
 要は睡眠薬ベゲタミンBを大量服薬をして自殺未遂を図ったのだ。

 一か月半前、美月要はデザイン事務所の中途採用試験に臨んでいた。
 要の高学歴さは、先方に意外に映ったようだった。デザイン事務所とは云え、社員は数人の小規模な会社だったから、国立難関大出身の応募者など、前代未聞だったのだ。
「こんなすごい大学を出られてうちなんかでだいじょうぶなんでしょうか?」
 要はどう見ても、一般的な常識ある大人には属せない種類の人間だった。唯一、所持していたテーラードジャケットにふんわりしたフレアスカート。長い髮は背中まですとんと落ちている。このような場では、ふつう、リクルートスーツを着るものであることも、長い髮は束ねるべきであることも、要は知らなかった。リクルートスーツなど、そもそも所持してすらいない。
 それもそのはず、要の前職は舞台女優なのだ。その持ち前の演技力で、要は云い切る。
「これからは、地に足をつけて地道に生きていきたいと願っております」
 要はファイルを差し出した。ポートフォリオだ。ゆうべ、徹夜して作った幾つかのチラシデザインのプリントアウトが入っている。加工してあるから、面接官たちは気づいていないが、使われている写真素材はもともとすべて要の宣材写真だった。
「過去に作ったデザインのサンプルです」
 面接官たちは、ポートフォリオに興味を示した。
「こう云うのは、善いですね。なにかにつながるかも知れませんよ」
 要は素直にうれしかった。舞台女優としては褒められることも多かった要だが、役の仮面を抜きにした素顏の要自身は、とても褒められた人間ではなかったからだ。
 それで微笑みながら応じた。
「ほんとですか! ありがとう御座います!」
 実社会に出ること、社会人になることも、もしかしたら、可能なのではないか。幼い頃からすこし前まで、あんなに自分には無理だと思いつめてきた〈社会に出てはたらく大人〉になれるかも知れない。要は、高揚を覚えた。
 要は、芸術家にありがちな不安定さを抱えていた。その上、すでに成人しているにも拘わらず、思春期的な少女性を払拭できずにいた。そのあまりの不安定さは要を希死念慮(きしねんりょ)へと駆り立てた。大学時代にはじめて、精神科に行った折、要の話をひととおり聞き終えたお医者さまはこんなことを口にした。
「あなたは脳を使いすぎています。このままいくと、すごい途轍もない〈作品〉は遺せるかも知れない。でも、代償としてそのあとの生涯を精神病院に閉じ込められて過ごす羽目に陥るかも知れない。だから〈脳のはたらきを抑える薬〉を出しますから、ひとつ試してみませんか?」
 それ以来、要は向精神薬を常用してきた。その量はどんどん増え、それにつれ、依存の度合いも増していった。近頃では、1日レキソタン1シートを必要とするまでになっており、オーバードーズ(過剰服薬)やリストカットも頻繁だった。
 今回、要が中途採用試験に臨んでいるのも、もとはと云えば、要の精神状態を持て余した劇団側からの退団勧告に端を発していた。退団勧告と云えば聞こえは善かったが、要は放り出されたのであった。
 面接官のひとりが履歴書の職歴の記述に疑問を呈した。
「ええと、美月さん、この職歴にある劇団、と云うのは? はたらいていたわけではないんですよね?」
 そこには、「NPO法人 劇団Yに就職」と書かれていた。勿論、要は劇団で女優をしていたわけだから、そこは「就職」ではなく「入団」とするべきだった。だが、履歴書に向かったとき、要は敢えて「就職」と記した。そのほうが心象が善いだろうとの判断だった。これくらいは、方便として許容範囲だろう、と要は思った。
 そしてこのとき、この方便は効を奏した。
「課長、就職と書いてありますよ」
 もうひとりの面接官が先程のことばに応じて云ったのだ。方便と云うより天啓だったかも、と要は救われた思いだった。その面接官は、今度は要に向かって訊いた。
「はたらいてらしたんですよね?」
 そのことばに、要は飛びついた。
「ええ。ポスターやチラシやチケットのデザインを担当していました」
「なるほど」
 ふたりの面接官は首肯(うなず)きあい、面接は良好な雰囲気のうちに終了した。
 そして、方便ならぬ天啓のおかげが、はたまたポートフォリオのおかげか、要はその日のうちに、正社員として正式採用の連絡を受けた。もっとも、いちばんの決め手は学歴の可能性が高かったけれど。

 要は、うまれてはじめて、〈社会に出てはたらく大人〉たる正社員として、出勤した。事前の説明によれば、服装には厳密な規定はなく、カジュアルで介意(かま)わないとのことだったが、要の私服と云えば、所謂ゴスロリ、ゴシックロリータの甘いドレスが多く、さすがにそれはアウトだと要にも判断できた。そこで、面接にも着ていったワードローブの中では唯一オフィスにも耐えられそうな、焦げ茶色のテーラードジャケットを通勤服にすることにした。しかし、そのあたりが、要の一般常識の限界だった。つまり、背にかかる長い黒髮は、垂らしたままだったのである。

 Photoshopは独学である程度使えた要だったが、実際に仕事をはじめてみると知らない小技や機能がたくさんあった。
 その点では、要にとって仕事の内容は面白いものであった。しかし、社会人として毎朝会社に通うと云う毎日は、想像以上に厳しいものだった。本音を述べてしまうなら、苦痛でしかなかった。
 それでも要は要なりに頑張ったが、その頑張りはとても社会人の水準には達していなかった。

 そんな折、要は以前から付き合いのあった、ラジオドラマの収録に参加した。ラジオドラマの現場は、やはり水があっており、収録は夜を徹して行われた。夜明けの道を帰りながら、要はひさしぶりにのびのびした自分を感じていた。
「会社に行くのって、なんだか自分をスーツの中に、押込めてゆく作業に思えるな」
 要は思っていた。尤も、要の場合、スーツとは云え、ワードローブの中に唯一のテーラードジャケットだったけれど。

 翌日、要は殆ど仕事にならなかった。ひとつは、眠気のため。前日の夜ふかし――殆ど完徹――がこたえたのだ。もうひとつは、いつも以上に〈社会人〉の仮面を被ることが苦痛に感じられてならなかったのだ。
 あとから振り返ると、この頃の要はかなり追いつめられていた。しかし周囲には、ふわふわしたお嬢さんに見えていたし、要自身は毎日をこなすので必死で自身を省みる余裕などは皆無であった。
 初出社からひと月。要は、パーティションで区切られたスペースに呼ばれた。試用期間が終わったのだ。
「美月さん、あなたなりに頑張っているのは判るけど、このままでは、本採用はきびしいね」
 上司のことばに要はうなだれた。
「この前も収録とかのつぎの日は、殆ど仕事になっていなかったしね。まあ、業務外の活動についてはこちらでとやかく云う筋合いはないのだけど、業務に支障をきたすのは、ちょっとね、」
 要は身を竦めた。クビになる、と云う考えが頭を掠めた。
「申し訳ありません。たしかに、仰っていることは判ります。そのとおりだと、反省しています。できれば、改めたいと考えます」
 要は、懸命に頭を低くした。上司の表情が幾分和らいだ。
「まあ、美月さんはデザインのセンスがあると思うし、こちらとしても無下にはしたくない。どうですか、試用期間の延長としませんか?」
 救われた思いで、要はおおきく首肯(うなず)いた。
「ありがとう御座います! 心を入れ替えて頑張ります!」
「よろしく頼むよ、あとひと月、成長を見せてくださいよ」
「はい、かならず!」
 こうして、面談は終わり、要はかろうじて〈社会人〉に留まった。やっと獲得できた〈社会人〉と云う身分に。

 尤も、この上司の優しさが結果的に要を追いつめる一因ともなってしまうのだが。
 それからの半月、要はできるだけ、自我を殺して〈社会人〉の仮面を被るよう必死に頑張った。半月後は、ちょうど年末で仕事納めのあと、ほかの支店も合同の忘年会が開かれた。
 その席で、貼りついたような笑顔で時間をやり過ごした要は、帰宅後、お守り代わりに貯めていたフリスクのケースいっぱいのベゲタミンBを飲み干したのだった。
 自分でもそれと意識せぬまま、自動的に、半ば機械的に。そうして、そのまま深い眠りに落ちた。

 要にとっては不幸な偶然だが、傍目からは幸福な偶然と言えるだろう。折りしも、年末のため、両親が遊びに来ていた。
 すこしも起きてこない娘を見に行った両親は、死んだように眠る娘を発見する。はじめは慣れない仕事の疲れが出たのだろうと判断し、そっとしておいた。しかし要は、二日目になっても、まったく起きる気配がなかった。それどころか、身動きひとつしない。両親もさすがに異変を感じ取った。そしてあわてて救急車を呼んだのだった。
 暮れも押し迫った、十二月三十日のこと。

 その辺でいちばん――もしかしたら日本でいちばん――おおきな病院――と云うより医療機関――に、要は搬送された。
 殆ど逝きかけている要を引き戻すためのありとあらゆる措置が講じられた。要は、上の血圧が四十以下で、かなり危険な状態。オーバードーズから時間も経っており、胃洗浄してもあまり意味はなかった。そのため、特殊な装置を使い、全身の血液をいったん体外に取り出し、濾過して、戻すと云った大掛かりな処置まで、執り行われた。血液のクリーニング作業と云うわけである。


1ー2.生きるための闘い


 要は一週間くらい昏睡状態で、ほんとうに、あらゆる手が尽くされたが、生死の境を彷徨っていた。
 だが、それは要の外側で起こっていたこと。云うなれば、要のあずかり知らぬ範疇のこと。

 夢を視つづけた。

 おとうとの夢がつづいた。仮令(たとえ)ば、『ハリー・ポッター』の魔法省にふたりで忍び込んでいる。敵の目をかいくぐり、なんとかミカちゃん(弟)だけでも逃して生還させなければ。或いは、後ろに爆弾のついたF1カーにふたりで乗っている。運転しているのは要。猛スピードの中、できるだけ市街地を離れつつ、爆発を回避する方策も練らなければならない。爆弾はスピードをすこしでも緩めたり、過剰な揺れを感知したりしたら、爆発する。そんな危機の連続。
 要の考えていることはひとつ。なんとしても、ミカちゃん(弟)を守らなくちゃ。

 自分が死ぬことはあきらめていた。

 運命の別れ目と云うものがあるのなら、あのとき、要は生きることを選んだ。
 たしかに選んだのだ。

 親友の史桜ちゃんとの夢も視た。
 姿を消した要を心配する史桜ちゃん。あちこちを探し、ようやく死にかけている要を見つける。
「もう! 莫迦なことして!」
 要は謝りつづける。
 もうしない。
 もうしないし、かならず、史桜ちゃんのところにもどる。
 だから待っていて。
 おそらく要の躰と意識は生と死のぎりぎりのところを彷徨っていたのだろう。
 死んでしまってもちっともおかしくなかった。寧ろ、そうなることを望んでいたのだから。

 だけど、ミカちゃん(弟)と史桜ちゃん。
 このふたりが要の生をこの世に繋ぎ止めた。或いは、このふたりへの想いや執着と云ったものが。
 要はすこしずつこちらの世界にもどってきた。

・執着が、或いは愛が、わたくしを世界に留め、永らえさせた。

 自殺未遂で、四肢麻痺になって、常に「死にたい」と願っていた要の願いは断たれてしまった。車椅子では自殺は不可能だ。海岸の崖の上に連れて行ってもらうことも考えた。よく、二時間サスペンスドラマで刑事が犯人を追いつめるあそこだ。だが、要は具体的にあんな断崖絶壁に心当たりはなかったし、仮令(たとえ)、場所が見つかったとしても連れて行ってもらえるとは思えなかった。さらに、突き落としてくれるような奇特な人間が存在するとは、とうてい考えにくい。

 自殺未遂をして、奇蹟的に一命をとりとめたところで、要の〈生きづらさ〉が軽減されたわけではなかった。「死にたい」はあいかわらず、要を苦しめた。四肢麻痺になり、自死の手段が喪われたことにより、その苦悩はますます深まった。
「どうして、死なせてくれなかったのよ!」
 いけないと思いつつ、親を責めてしまうことも、たびたびだった。答えは出ず、要の苦痛は日々、耐え難かった。毎日毎夜、要は病院のベッドの上で、泣き暮らした。舌を噛み切ることも、幾度となく試みたが、麻痺のせいかうまく行かなかった。
 いまや、要に赦された自由と云えば、泣くことのみだった。しかし、その涙を自分の手で拭うことすら、不可能なのだ。それは想像以上の絶望だった。


1-3.リハビリ専門病院


 要はそのまま、リハビリ専門病院に入った。ギラン・バレー症候群の権威だと云うことだった。軍隊みたいな病院でのリハビリ生活がはじまった。
 たいへんだったけど、パソコンが与えられた。世界が拓かれた気がした。
「ぢゃ、まず、名前を打ってみようか?」
 作業療法士に云われ、パソコンの前に座った要は、けれど、次のような文章を綴った。

「それでね、アキちゃん」
 にこやかに話す夫の背広を受け取りながら、空々しい心持ちになる。アキちゃん――。それはわたしの名前ぢゃない。

 それは小説だった。自殺未遂の前から構想だけはあった小説・『夢囲い』。かたちにできないで、今まで来ていた小説を、要は根気強く書いて行った。

・成果出ぬリハビリだったがパソコンと云う「セカイ」を獲得できた


1ー4.ホームレス。


 入院が半年、一年となっても、治ると云われた四肢麻痺は一向に快復せず、それから病院をいくつも転々とした。
 このころの要は容易く死に引き寄せられていた。
 ホームレスのように行くところがない身の上。
 相変わらずの希死念慮。
 動かない躰(からだ)。
 苦しかった。

 とは云え、四肢麻痺になったことは要を追いつめてはいなかった。寧ろ、楽になった気さえしていた。要は元から絶望していたが、いまや、おおっぴらに絶望しても介意(かま)わないと云う〈絶望の免罪符〉を獲得した気分だった。いまの要が絶望していたとしても、死にたがったとしても、ふしぎに思うひとは、少ないだろうと思われたからだ。
 その意味で、要はやっと絶望の正当な理由ができた気がしていた。その点では、躰が動かないことはマイナスでもなんでもなかった。

 そのころだった。
 発達障害だと診断されたのは。
 要にとって、コペルニクス的展開だった。
 精神科を変えたのだ。
 すると、要は精神疾患ではなく、器質的な発達障害、高機能自閉症、所謂アスペルガー症候群だと診断された。要が世間と折合いがつかなかったのも、周囲との齟齬や軋轢も、その障害ゆえだと判明したのだ。
 さらには、要を自殺未遂にまで追い込んだ希死念慮(きしねんりょ)も、自殺未遂後に診断された統合失調症も、アスペルガー症候群の二次障害だと判明した。
 どうしてもできなかったことが、アスペルガー症候群ゆえだとすると、あまりにもすとんと納得できるのだ。
 周りにうまく馴染めなかったこと。世界の中で生きて行けると信じることができなかったこと。
 ものすごく腑に落ちた。
 ものすごく楽になった。

 発達障害だと診断されたことで、自分と周りとの「齟齬のメカニズム」が見えるようになった。
 要は誤解されやすい。何でもないことを、思わぬ悪意に受け取られて吃驚する。
 要は、結構まっすぐだ。明け透けでいつも大体本音を話す。
 しかし、世の中のひとはそうではないらしい。誤解され悪意に解釈される度に、ひとびとがそんないろんな考えをもっていることに気づかされる。
 要は、明け透けな文章しか書けないし、まっすぐな言葉しか喋れない。それで随分ひとを傷つけてきた。文章で自分の傷を晒すことによって痛みも与えてきたのだと思う。
 だけど、どんなに苦しい時でも、いつも自分を冷徹に見つめる自分がいて、言葉を綴ってきた。
 どこか、冷めているのだ。
 其の客観性がたまらなく苦しかった時もある。いっそ狂ってしまってわからなくなってしまった方が楽なのにと思いながら要は自分を冷静に観察し続けた。何処までも客観的な自分が厭なこともあった。
 だけど今こんな状態になっても要が恐ろしく暢気に見えるのは、その冷徹な客観視のお蔭だと思う。どんなに辛いことがあっても、ちょっとそこから距離を置いて自分を突き放して眺める。
 ひとの心の内側は要には測りがたい。
 でも、想像力で補って客観性と明け透けさをいい意味で武器にしていきたい。発達障害だと診断されて、要はそう思うようになった。善い意味で開き直れた。

・わたくしと周りの齟齬のメカニズム。なんだ、そもそも違っていたのか。

 そう、コペルニクス的転回。
 診断はたしかに、一大ニュースであり、要の抱えている重荷を軽くしてくれた。

 だが、原因が判ったところで、現実の結果が変わるわけでもなかったから、要の〈生きづらさ〉はあいかわらず、解消していなかった。


1ー4.翼の生えた赤い電動車椅子

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