22歳から23歳になった光里(1年の振り返り)
2020年9月24日。
私は23歳を迎えた。
これを機に1年を振り返る。
2019/09-2020/09のモチベグラフ
2019年9月は念願のハワイに行けたり、PEACE DAYに参加してTABIPPOの他都市スタッフと仲良くなれた。
11月あたりは、大事な仲間を失い自分の無力さを痛感。
そこからなんとか気持ちを切り替え、目の前にいる仲間を大切に。目標を達成するために熱狂する。今でも本当に幸せな時間だと心から思える。そこから3月までは、残りの大学生活を全力で楽しんだ。
3月には、シンガポール・マレーシア・タイ・インドに行く予定だったのに、コロナで行けなくなる。
そして、4月上京する。
本来であれば、毎月実家に帰省するはずだった。でもコロナ流行により帰りたくても帰れない。東京にいる友達にも会えない。イベントにも参加できない。やりたいことができない、大好きな家族や友達に会えず気持ちが下がる。
そんなマイナスな感情を消そうと、料理に挑戦したり、オンライン英会話を初めてみたりした。
6月は転機と思えるような出来事が起きた。初めはプラスだったけど次第にそれが、9月上旬ぐらいまで私を悩ませ続けた。今の仕事を辞めるのはいつなのか、本当に悩んだ。やっと継続することを決め、そこからは安定し今に至る。
安定すると、仕事にも力が入れたし色んなことに挑戦するようになった。
やっと元の自分に戻れたようなそんな気がする。
22歳をまとめると、感情の上がり下がりが激しい歳。
学生から社会人、宮城から東京ってガラリと環境を変わったから無理もないのかな。
私がやりたいこと
自粛期間中に私は、映像クリエイターになりたいとnoteに書いた。
なりたい理由はシンプルに好きだから。
この映像クリエイターはどこまでを目指しているのかまだわからない。
まずは、身近な人を笑顔にしたい。自分自身、撮ったり編集しているときも常にワクワクしていたい。心が動くような映像を作りたい。
それと同時に密かに思っていたことが、今ではやりたいことへと変わっていた。
それは、
地方学生に人生の選択肢を増やすこと。
職業だったり、生き方だったり。
これを実現するために、上京した。
働く目的
話は少し離れるが、3月中に働く目的や生きる意味を考えることがあった。
そこでヒントを得たのが、私の名前だった。
私の名前に使われている漢字は「光」と「里」
里を照らす光となる。
上京する前に両親から、いつかはこっちに戻ってきて欲しいと言われた。
私にとっての幸せは家族や友達と一緒にいる時間だから、いつかは戻りたい。
戻る時には、地元である宮城を良くするための知識や情報、スキルを得ている状態になっていること。
自信を持てる自分となること。もっと自分を成長させて、宮城に貢献していきたい。
今では自分の名前はお守りであり、My compassになってる🧭
あとは、どうやって地方学生に人生の選択肢を増やすことができるのか。
会社員でできるのか、フリーランスとしてできるのか、経営者としてできるのか。
映像クリエイターと掛け合わせることができるのか。
23歳も悩み続けることになるだろうけど、30代とか、仕事とか何かしら定まった時に「たくさん動き回った20代の自分がいたから、今の自分がいるんだな」と思えたらいいな。先がよければ全てよし。
20代を武器に、引き続き動きます。
〜23歳の目標〜
・挑戦者であり続けること
・素直であり続けること
・悩んだり考え事があったら、紙に書き出すこと
・自分の人生に責任を持つこと
・家族と友達、出会った人を大切にすること
・身体とメンタルを鍛えること