言葉の暴力。実は弱さの表れかも!?

こんにちワッ!😊
Inad.brvgです。みなさんお元気ですかー!

新緑が美しい季節になりましたね!家の近くの街路樹が綺麗な葉っぱをつけてきたのでもうすぐ夏だなぁって感じます。
ポカポカした日差し、優しい風、もー大好きです!💕
良い季節ですよね。

さてさて今日お話ししたかったのは言葉についてです。
実は今日ですね、「inad.brvg君から見たら私ってオタクかな?」って聞かれたんです。いやまぁそう言う話をしていたんですけどね。
最近こそサブカルな時代になってきたから寛容さが生まれましたが、
少し前までは「なにそれキモい。」と言われていた時代だったんですよね。
それこそ中学や高校の女子にそう言うことを言われたことがある人もいるのではないでしょうか。
僕は違ったのですが友達が言われていたことがありましたね。

ここで質問です。なにが「キモい」のでしょうか。或いは「キモいとは何でしょうか」
と言うことが疑問になったことがあります。
自分なりに思考してみたのですが、人はよくわからなものに対して
それを知ることを放棄して「理解できない」と見下げることで
ある意味自分の地位を立たせようとしているのではないでしょうか。
責めるつもりは全くなくて、考えてみたいなって思って書いてます。

ある意味で知ることの放棄なんじゃないかなって思うんですよね。

昔知り合った漫画がすごく良いこと言っててですね。
陽キャがオタク系の部屋に入ってそれを馬鹿にしていて
オタクでもない主人公がそこに割って入ったシーンだったんですけど

「お前知ってるか?このフィギア、ネットオークションで50万するんだぞ。
このフォルム、塗り分けの細やかさや分割線の目立たなさ
これだけの造形技術を極めるのにどれだけの努力と時間が必要だったと思う?
技術の粋を集めた価値がお前にわかるか。
どんな優れた技術もそれを認める目があってこその文化なことをこの持ち主は
知っているんだ。そのためにバイトを梯子し食費を削った。
お前たちはそれだけ何かに情熱傾けたことがあるのか。
誇れるものがあるか。
馬鹿にしたいならそれだけの材料もってこい…!」

めーーっちゃくちゃカッコいいですよね。こんなこと言ってみたい。
オタクに限らず物事の判断する基準を大きく変えさせられたセリフの一つです。
人は、知らないから批判できる。知らないから嫌えるんだと思います。
或いは知ることが怖いから?知らないことが怖いってこともあるのかな。

結局は他人を知ることを放棄したときに何気ない一言で傷つけてしまうことばかりだと思うんですよね。
しっかりと相手を見つめて、理解できなくても歩み寄ろうとするその気持ちだけあれば、人間関係はもっと豊かになれます。
誰もコミュ障じゃなくなる時代になれるんです。秘訣は単純「知ろうとすること」じゃないですかね。
歩み寄ってみればその人のことをもっと知ろうとできる。
知ろうと言う気持ちになればその人のことがもっと大切に思えてくる。
「どんなことが好きなんだろう。」「なにが苦手で、どう配慮すべきだろう。」「大切にしているものはなんだろう。」「どんな言葉が喜ばれるのだろう。」
もっと大切に思える先にコミュニケーションにおける本当の満足が生まれるのではないでしょうか。

きっと楽しいと思うんですよね。自分の新しい世界が広がるし。
僕は結構、友達に影響されることが多いんですよ。
モンブラン好きな友達がいればケーキ屋で自然とモンブランに目が行くし。
アニメが好きな友達がいれば、その作品の良いところを知ろうとしています。
単純にそれが好きってわけじゃないんですけど
「その人が好きなものを自分も好きになりたいな」って思うんですよね。

そんな風に相手を知りたいとなれればもうコミュニケーションに仮面をつける必要がなくなるんじゃないかな。
本当に相手を信頼できる社会に早くなってほしいです。
そのためにも明日の仕事頑張るぞー♪

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