中学3年生
よく息苦しくなる
心臓がバクバクしてお腹がもやもやしてなにか大きなものに飲み込まれて溺れそうになる
日常に後ろめたさを感じるようになったのはいつからだろう
訃報や事件、事故のニュースを聞く度に「私より生きたかっただろうな、こんな私は生きているのに私より善良であろう人が死んでいくのはなんでだろう」と思う
最近はそう思うことは減ったけれど中学3年生の時は毎日死にたくて仕方がなかった
生きていることが私にとっての何よりもの地獄で、まだ生きていることに疑問をもつばかりだった
生きていることの免罪符を探し回っていた
希死念慮がとにかく強かった
朝目が覚めると「今夜も誰も殺してくれなかったな」と思い、夜布団に入ると「今日も死ねなかったな」と思う
死にたいというよりは消えたいという気持ちが強かった
私という存在がこの世に元々なかったように消えてしまいたかった
中3の秋、学校に毎日行けなくなった
体が鉛のように重く何も出来なくなった
不登校になったわけではなく週に3、4回は登校出来ていたと思う
私か学校に行けば家族は安心するから力を振り絞って吐きそうになりながら登校していた
別に学校が嫌いだったわけではない
登校すれば優しい友達が大勢いて遅刻しても「あ!○○来た!おはよう☺️」と笑顔で声をかけてくれた
休みがちになってもみんないつも通りに接してくれて、英語とか数学の授業には来ないくせに楽な授業の時は来る私のことを煙たがったりしなかった
過食が酷くなりどんどん太って肌が荒れていっても誰もそのことに触れたりしなかった
本当に素敵な友達、クラスメイトに恵まれたなと思う
なのに学校に行くのが辛くてしんどくて仕方がなく、そう感じてしまう自分が情けなく憎かった
正直鬱だった頃の記憶が霧がかかったかのようにぼんやりとしていて覚えていないことも多い
写真ホルダを見返してもその数ヶ月が空白になっている
3回くらいだいすきな友達と出かけたはずなのにその時の写真が全て消去されている
多分楽しかった記憶、美しかった記憶が辛かったのかな
とにかく全部全部消えて欲しかった
学校も家もどこも私の居場所ではないように感じた
最寄り駅に着いても家に帰りたくなくて日が落ちかけて木枯らしが吹く中ひたすらに歩き続けたことがある
途中から涙が止まらなくなって知り合いに会いませんようにと願いながら前に進んだ
そのまま荒川の底に沈んでしまいたかった
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