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掌編小説?三行半(みくだりはん)

三行半に書く習慣から江戸時代、夫から妻へ宛てた離縁状の俗称。離縁する旨と、妻の再婚を許可する許しを書き記したもの。転じて、離婚することを「三下り半を突きつける」とも言われた。 (goo辞書引用)

時代が変われば色々変わるわけで、今の世の中では「三行半」も夫から妻ばかりではなく、むしろ妻から夫に対して突き付けることが多くみられるのかもしれない。

「悪いんだけど、もう限界。良子を連れてこの家を出るから別れてくれない? 残りの人生そう長くない訳だし、お互いそのほうが楽しく暮らせるんじゃない?」

「お前、いつも突然、大事なことをそうやって勝手に一人で決めて事後報告だったよなあ。急にそんなこと言われてどう受け答えればいいか、即答できるわけないだろう」

熟年離婚も、最近巷を賑わすSNS離婚という奴も、他山の石ぐらいに捉えて自分の家庭には当てはまらない事だとばかり思い込んでいた。だから子は鎹という迷信を信じて、冷めきった夫婦仲のままでも、共同生活者として一つ屋根の下で生涯を全うするという、そんな人生設計を妻も当たり前のように思い描いているものだとばかり信じ込んでいた。

しかし振り返ってみればここ数年、妻と今後の生活において何か前向きな話をしたことがあっただろうか、いつも妻が口にする話の内容は家計の事であり、娘の学校生活の事に限られていたのかもしれない。

家族で出掛けることも「夕食の支度が間に合わないという前提条件がついた時だけ利用したファミレス」位なもので、娘が小さい自分はそれでも月に何回かは出向いた近場へのドライブや公園の散策なども、最後に出かけたのがいつだったのか思い出せないほどだ。

生来出不精の妻の本心が知れたのは、結婚してからだった。出自や家庭環境が根本的に違う者同士は結局のところいくら努力を懲り返しても歩み寄れないものだという現実も日常生活の中で知った。

よそ様の家庭の事情は伺い知れないが、事我が家においては家計のやりくりや、娘の子育てなど、立派に主婦としてそして母として務めを果たしてくれた妻には、はっきり言って感謝の念しかない。

逆に常時不安定な収入で、ほんの一時期を覗いたら生活費の面で苦労を掛け続けた自分に、離婚の根本的な原因があることに納得がいっている。本音を言えばそんなところである。

妻の一存で、私の知らぬ間に話はどんどん進んでいて、妻と娘の新たな新居は既に仮契約を済ませリフォームも一か月先には完成するという説明も三行半の話と時を同じくして告げられた。

そして妻は妻なりに私に対して最大の譲歩を見せてくれ、今の住まいの権利は私が住み続ける限りにおいて全ての権利を譲り、娘の養育費も生活に余裕が出来たら仕送りしてもらえばいい、とまでいってくれている。ただ最後に「それをあなたに望んだところで叶わぬことだというのを重々承知で言っているわけだけど」という但し書きがついたことも言っておかねばならないことだが。

妻の実家は素封家とまでは呼べないにしろ、私の実家とは真逆で、ご両親が二人の娘の為に幾ばくかの財産を残されたことで、中古の一軒家を新たに購入して娘と二人慎ましく暮らせば生活に窮することもない額の蓄えがあるのは薄々感じていたことではある。妻にしてみればこの先私と三人で生活すればその蓄えも私が食い潰しかねず、それどころか娘が生まれた時から爪に火をともして蓄え続けた娘の預貯金にも手を付けなければならない事態に陥る。という危惧の表れだったのかもしれない。

娘に会いたくなれば、いつ逢ってもらっても構わないとまで言ってくれた妻と娘の事を、笑って見送ることが最後の私の務めなのかもしれない。残されたこの家に独り近所の目を気にして住む気は今のところ正直ないが、手放してしまえば娘が私と会いに帰る場所をも失くしてしまうということである。人生とは時に残酷なものだなどという話は、私には当てはめてはいけない言葉なのかもしれない。何故私が突然こんな話をするのかといえば、皆さんの悪い意味での見本にでもなってくれればと恥を忍んで書いてみた次第だ。

                       2020年6月吉日



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