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いのちの初夜  北条民雄

ハンセン病文学というジャンルが存在するのをご存じだろうか?島木健作の処女作、「らい」、遠藤周作の、「私が・棄てた・女」、松本清張の「砂の器」近年では映画化までされたドリアン助川の「あん」など、多くのハンセン病を題材に取り上げた小説の中の一つに北条民雄の「いのちの初夜」がある。

 川端康成の手により世に送り出された、北条民雄の一連の小説は、著名な日本文学全集の中に取り上げられるほどの作品であり、認知度は高かろう。北条民雄が逝去された、昭和12年当時はまだ、特効薬であるプロミンの出現以前の事であるため、ハンセン病は死の病であり、世間一般でいわれる業病の、最たる一つに数えられていた。そしてらい予防法と呼ばれた、悪法により人権をはく奪されたハンセン病患者の殆どが、全国に散らばって存在したハンセン病療養所に隔離され、家族との再会も果たせぬまま生涯を閉じたのだろう。

ノンフィクション作家の、高山文彦氏も、「火花」という作品で北条民雄の生涯を描いた。大矢壮一ノンフィクション賞も受賞した作品故、真実の北条民雄その人の生涯を知るのに、お勧めの一冊である。

 この本の存在に初めて触れたのは、前記した様に、たまたま所蔵していた文学全集の中に収められていた「いのちの初夜」を、中学当時偶然見つけたことによる。

 本のタイトルからは、話の内容がハンセン病患者の実体験の基づく私小説であることは伺い知れなかった為、さほどの興味も持たずに、就寝前の暇つぶし感覚で読み進んだ記憶が残る。然し読めば解ることだが、のっけから、先の展開が読めない一種異様な雰囲気の作品であることに気づかされる。

 入所する多摩全生園と呼ばれた療養所に到着してすぐ、主人公尾田(作品の中で北条民雄は自分を尾田と表記している)は、その先の人生を儚んで、施設内の雑木林で自死をとげようとするが死にきれず、その一連の行動を、見届けた新規入所者の世話係の佐柄木という男が尾田に話して聞かせる台詞がある。

 「僕、失礼ですけどすっかり見ましたよ、やっぱり死に切れませんでしたね、ハハハ」

「止める気がしませんでしたのでじっと見ていました、最も他人が止めなければ死んでしまうような人は結局死んでしまう方が一番良いし、それに再び起き上がれるものを内部に蓄えているような人は、定まって失敗しますね…」

 目の前で今まさに、死なんとする人間を黙って見過ごし、死ねるものなら死んだ方がいいと言い切る人間の言葉の一つ一つが、ハンセン病という病気の抱える闇の深さを如実に言い表しており、恐怖と共に謂われない悲しみを感じた。そしてその後に続く、重病室の光景の描写は、あまりにむごたらしく読み進んだことを後悔する気持ちにさえ苛まれる内容だった。それは、その後私自身が一時期、ハンセン病という字や言葉を目にしたり耳にしたりするだけで強迫観念に陥った程のものだった。

 今日、らい予防法の全廃や、患者の補償問題などテレビのニュースが取り沙汰される機会も多いが、この病気の過去の実態や、現在の状況について深く関心を寄せる人は少なかろう。今では年間の発病者数も、事我が国においては、限りなく0に近い数であるし、仮に発病したとしても、確実に完治する皮膚病の一つぐらいの捉え方が一般的と聞き及ぶ。

 砂の器、パピヨン、ベンハーの一場面にも登場したし、もののけ姫のたたら場で働く職人の中にも描かれていた。そして熊井啓の監督した、愛するは、別の意味でハンセン病という病の差別の歴史と、病を追ったものの悲しみを言い表す内容だった。

 コロナ騒動に揺れる今、ふと昔読んだいのちの初夜を思い出し、在り来たりな内容に終始したが、書き及んだ次第である。


 

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