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ジェリールイスの底抜けシリーズは、日曜の昼下がり、出前一丁を食べながらテレビの名画劇場で見た映画だった。

ジェリールイス、ジェリーリールイスじゃねえよ。底抜け大学教授、底抜けモテてモテて、底抜けのるかそるか、ディーンマーチンとのコンビは知る人ぞ知る1950年代のアメリカ映画のキングオブコメディだ、チャップリンやボブホープほど有名じゃねえけれど、頭ん中空っぽにして見るのにサイコーな映画だ。これは日本語吹き替え版の初代フグ田マスオ、近石真介の声で見なければならない。これだけは決して譲れない。

 注:ジェリーリールイスはアメリカのカントリーミュージシャン。ああ紛らわしい

 健全な昔のガキは、半ドンの土曜日は家に帰ったら、宿題なんか後回しで、藤山寛美の夜明けのスモッグを見ながらサッポロ1番の塩,(具材なんか決して容れずに、かーちゃんがいなければ雪平鍋から直接、スープの素を早くから入れすぎてど塩辛い、クタクタの麵)を食べるのが常だった。そうすることで洗いものの手間が一つ省けるという先人の知恵がそこにある。そして何より胃に優しい。ここで一つ注意を払わねばならないのは、小学生にもなったガキは、自分でそれを作らねばならない。1つ弁解すればビンボーかーちゃんは決まって内職か、近所のババア連中との井戸端会議に現を抜かさねばならなかったため、ご子息のランチの世話どころでは ないという背景がそこにあったが為だ。

 裏番組の吉本の岡八郎と花紀京の新喜劇も捨てがたい魅力があったが、ビデオなど影も形も、少なくとも貧民の手に届くところにはなかった時代だったため、コマーシャルの間だけ浮気作戦を敢行したつもりが、そっちに見入ってしまったりもした。「2兎を追うものは、1兎も得ず」とはよく言ったもので奥目のはっちゃんが、松竹新喜劇の役者だったというような気がしないでもないから不思議だ。


注:私の記憶が確かなら裏番組だったはずだ。日本は広い、東京のキー局だけが日本のテレビではない。あまり詮索せぬように

 その後も、だらだらとテレビを見続けるクソガキは、途中巨人の星を見ながらそそくさと晩飯を済ませて、烏の行水を10分以内に終了させることが義務付けられた。後から続く8時だよ全員集合のおーっつすが、待ったなしにやってる為だ。

 注:日高美奈の死の星は黒色肉腫という怖い病気だという、クソの役にも立たないプチネタが頭から離れない。算数の勉強に使う脳みそは、はなから持ち合わせていないくせに。

9時からは土曜洋画劇場だ。マカロニウエスタンが、ど定番だった。ジュリアーノジェンマとアランドロンの話す日本語が同じ声だったことに何の違和感も覚えなかった。当時の外国映画のイケメン俳優の吹き替えの27パーセントは野沢那智が担当したからだ。今でいえば山寺宏一といったところか。

注:話を元に戻さねばならない、ジェリールイスがそろそろおかんむりだ。

おませな小学校の高学年の、日曜の朝は遅い。昨夜の深夜放送のオールナイトニッポンか、ミッドナイト東海を、未明の時間までコソ聞きしたからだ。

「いつまで寝とんじゃーこのくそボケ死にさらせー、」の掛け声もろともドメスティックバイオレンスな親に蹴り起こされる薄幸な少年は、自分の手でせんべい布団を押し入れの中にしまい込み、歯も磨かずに再びあばら骨のヒビを確認しながらテレビにかじりつくのだった。がっちり買いましょうを見逃さない為だ。 多分・・・・・・

 いまでいう、ネット依存症は昔テレビオタクと呼ばれた一族と、かなりの部分で合致している。外野の罵声が一切耳に入らなくなるほど熱中するからだ。怪獣気違い、テレビオタクの、栴檀は双葉より芳しい篤実なご子息は、チクロの決死圏入りジュースをものともせず、無意味に甘いジャムパンを口に運びながらのブランチにありついた。そして間もなく怒涛の正午を迎えるのであった。

 やっとここまできたぞー。

注:一部差別用語が含まれておりますが、ここに書かれる本人が実際周りから浴びた非難の言葉を事実に基づきそのまま表現しております。悪しからずご了承ください。

そうだ、今やっとガテンが言った。藤山寛美は和製ジェリールイスだ、よく考えると顔も、ギャグセンスも酷似している。ここまで読み進めてくれた君、是非一度、いい機会だから自分の目で確かめてくれたまえ。

目から鱗だ    きっと

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