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今月の本─5月

今月読んで興味深かった本

椹木野衣さんの本は受験期に入試問題の過去問に「感性は感動しない」の冒頭が使われていたので知った。本として読んだのは春だったかな。

「感性は感動しない」の冒頭の部分は、技巧や作者のパーソナリティ、絵の完成までの苦労物語にフォーカスした「感動」が絵画を鑑賞する上での障害となり、剥き出しの心で感じる「感性」こそが絵を観るのに最も必要なのだ、と力強く説明していた。その後は主に著者のエッセイだが、ツイッターの効用、子供の存在、学生時代の音楽経験など様々な面に触れて話しており、なかなか面白かった。

この「反アート入門」は(確か)その前に出されたものだったはず。特に美術批評の作法について(というよりも、美術館における絵画の観賞の仕方とでも言うべきか)の章では、私の美術に向かう姿勢がだいぶ変わった。

「感性は感動しない」の中でも取り上げられていたが、自分の感性に反応した絵がその人にとっての良い絵である、という。

それは必ずしも「うつくしい」「きれい」でなくとも良い。「きたない」「気味がわるい」と思うような絵だって、それは感性を揺さぶられた証拠なのだという話をしていた。

これを読んで、幼い頃にツアー旅行でムンク美術館に行った経験を思い出した。Edvard Munch作の「ムンクの叫び」が展示されているので有名な場所である。

だが、ここでムンクの叫びを見た記憶は、私には全くない。インパクトのある絵だから覚えていても良いような気がするが、もしかしたら他の美術館に貸出中、なんてことがあったかもしれない。ただまあ、本当に記憶がない。親に聞いたらあったらしい。普通に覚えてなかった。

その代わり、強烈に覚えている絵が二つある。
一枚目は、丸太の絵だった。さっき調べたら、『黄色い丸太』というムンクの代表作の一つらしい。

ガイドさんが見える方向によって錯覚で云々みたいなことを話していた気がしたが、そこは覚えていない。その絵だけを覚えている。

「木じゃん。絵なのに。わざわざ描いたのが、木かい」

これがその時の私の正直な反応だったと思う。
ただその時の、こちらを静かに見つめてくる、路傍の石のような、しかし確実に大きな存在である木のことが忘れられなくなった。

絵を見ているのに、絵に見つめられているような気分になった。私の記憶の中の丸太は明るい色調で、晴れた森の中に丸太が落とされていて、年輪がこちらを見ている絵だった。

もう一つの絵が、吸血鬼と婦人の絵だった。
この絵を見た時の率直な「感性」が、「こわい」「みていたくない」だった。怖がらせる目的でない絵に強い恐怖感を覚えたのは、後にも先にもそれくらいだろうか。

女性の首に穴が2つ空いていて、血が流れている。その赤色と対比するように、女性は青い。
死人の色をしていた。吸血鬼の造形は覚えていないが、その絵の中の死人が、本当に恐ろしかった。死という名前の静寂ををスプーンで掬って食わせられるような絵だった。

確かその時は写真OKだったので、父が記念に絵を撮っていたのを必死で止めていたのを覚えている。母に泣きついてやめてもらおうとするくらい、恐怖していた。
(こちらの絵については調べてもよく分からなかった。ムンクの『吸血鬼』ではなかった気がする。青くなった女性の死人が力尽きていたはずなので……)

幼い頃の、ガイドさんの説明を全く聞きもせず、ただじっくり絵と向き合ったあの瞬間が、まさしく感性の鑑賞だったのだなと思い返す。

最近は美術館や博物館に行けていない。最後に行ったのはトーハクの創立150周年特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」だったと思う。

あの時は凄かったな。刀剣乱舞とコラボをしていたのもあってか人が多く、展示物のガラス張りにそって人が2.3列になって回転寿司のように流れていた。もちろんじっくり観る暇など皆無だ。

狩野永徳の「洛中洛外図屏風」がトーハクに来ており、そこが一番人が多かったと思う。でも流れが早すぎて全く見れなかったし、最終的に「でっけ〜屏風」くらいしか記憶にない。

記憶に残っているのは、厚藤四郎という短刀がマジで分厚かったということくらいである。数年前の記憶なのに、印象が薄い。

あの特別展は、自分の姿勢が良くなかった。国宝とまで言われるものなのだから、感動しない自分が間違っているような気すらしていたのだ。あれでは絵を見られない。

椹木氏は、自分がピンと来たものの前で何時間でも突っ立って見てみることが大事だと言っていた。

今度は、自分に正直に、絵と向き合いたい。

見出し画像:「イプセン『幽霊』からの一場面」(1906、愛知県美術館蔵)

追伸:
もし、私が見た吸血鬼の絵に心当たりがある方は教えていただけると助かります。

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