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あなたは誰かに必要とされている

私の周りの人々

筆者の周囲には、不思議な程に自分のことが嫌いな人が多い気がする。心のどこかで無意識に自己の消滅を願っている。そんな人がたくさんいる気がする。
「自分さえいなければ周りは幸せになれるのに」
と心のどこかで思っている。
他人に対して、優しかったり、献身的な人や自己犠牲の精神を持っている人ほど心の片隅で
「自分さえいなければ周りが幸せになれる、自分が周りを不幸にしている」
と思っている人が多い。しかし、自分では結構、そのことに気がつかずに無意識にそう思っていることが多い。
「他の人はみんな素晴らしけど、自分は駄目な人間なんだ、誰からも必要とされていない」
との思いが幼少期の親や養育者との関係性や体験等によって無意識に自分の中に刷り込まれている。そのために他人に必要とされるように嫌われないように優しくして、相手に献身的に尽くしてしまうのではないか、というのである。

知らないのは自分だけ

しかし、本当に自分がいなければ周囲の人間は幸せになれるのだろうか?
確かに自分さえいなければ周囲の人たちは幸せになれるのではないのか、という思いを筆者自身も幼い頃からずっと抱えていた気がしてならない。
しかし、ある時に気が付いたことがある。それは、自分が誰にも必要とされていないと感じていたとしても自分が知らない間に誰かの生きる支えになっていた、ということなのである。
そのようなことは、実はよくあることなのである。
知らないのは自分だけなんていうこともよくある話しである。知らず知らずのうちにあなたの存在そのものが自分が意識していないのに他人の人生に多大な影響を与えたりしていることがある。

私にエネルギーをを与えてくれる人

ここで筆者自身の体験を少しだけ 綴ってみたい。
筆者はある人に生きるエネルギーをすごくもらったのだが、ご本人にも周りにもそのことは伝えていない。実は筆者は、あまりその人には好かれてはいない。しかし、辛いことや嫌なこと、悲しいことがあった時にその人に出会うとすごくエネルギーをもらえるのである。その人は優秀な訳でもバリバリと仕事ができる訳でもはない。周りからすごく好かれている訳でもないし、筆者自身もちょっと苦手な人ではあるのだが、何故か、筆者自身は、その人と顔を合わせるとすごく嫌なことがあってもやり切れないほど悲しいことがあって、落ち込んでいても不思議なことに
「もう少しだけ頑張ってみようかな」
と思うのである。
その人とのご縁を通して、人はみんな誰かの生きる支えや力になっているのではないか、と思うようになった。あなたの存在そのものが誰かの生きる支えとなり、人生の指針となっているかもしれない。実は、何も知らないのはあなただけかもしれないのである。
誰にも必要とされていない人など本当はいないのではないか、とすら考えてしまうのである。
「私は誰からも必要とされていない」
と感じるのは、単なる思い込みに過ぎないのではないだろうか?
本当に誰からも必要とされていない人などいるのだろうか?

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