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雨と船幽霊

Twitterで、病を雨に例えたマンガの1ページが流れてきた。

そこには、「病を私に降りかかる雨に例えるなら、傘をさしてもらうよりも共に濡れて寄り添ってほしい」といった内容が描かれていた。

(※元ツイート自体がマンガのページを撮影しただけの物だったため、元マンガが分からず台詞の引用が出来ない(引用定義を満たせない)ので、意図的に元のセリフから若干変えています。ご了承ください。)

これに対してツイート主やそこに付いた反応は概ね否定的なもので、「これは相手を巻き込むような考え方で、相手が救う(もしくは支える)にしてもこれでは共倒れになる」、といった反応だった。

その中でも印象的だったのが「人間を海に沈める船幽霊」という例えだった。

船幽霊というと、「柄杓をくれ」と呼びかけてくるのでその幽霊を哀れに思って柄杓を与えると、その柄杓で水を入れて船を沈めたり柄杓を与えようと手を伸ばしたところを引きずり込んできたりする、という感じの話である。「相手の善意に対して、お前も自分と同じ苦しみを味わえと巻き込んでくる」妖怪の話とも言える。

そう考えるとこの例えは中々腑に落ちる例えだと私は思う。

また、「あなたには私の気持ちが分からないんだ」と言ってしまうのもこのマンガと同じだと言ってる方もいた。

私も辛い時、精神的に余裕が無いときなどに支えてくれる家族にそのような事を言ってしまったことがあるが、このことを踏まえて改めて考えるとすごく恐ろしい事だと思う。

とはいえ、共感してほしい・寄り添ってほしいという気持ちはすごく共感できるのだ。私がそうだし。

自分の苦痛で手一杯。だから相手の受けている苦痛に気付く余裕がない。それどころか羨ましくて妬ましくて仕方がない、何より寂しくて仕方がない。側にいて欲しい。結果、船幽霊化。うーん、恐ろしや。

特に医療従事者などの専門家は、それこそ共倒れになるから患者に肩入れしすぎないようにしている、とこのツイートを見かける前にも聞いたことがある。

にも関わらず、10年超えのかかりつけの精神科の先生に対して「この先生は私に寄り添ってくれない!」と家でかんしゃくを起こしたこともある。

知識があっても、このザマだ。頭で分かってても心が止まってくれないことの方が多い。

多分このnoteを投稿したところで、未来の私はまた誰かに対して「寄り添ってくれない!」とかんしゃくを起こして船幽霊になるのかもしれない。

それでも、今日見かけたツイートによって「救う・助ける・支える」と「共感する・寄り添う」は似て非なるものなのだ。と気づいたことだけはなんとか頭に留めておきたい。

心が船幽霊になったとしても、それでも頭に留めた知識でブレーキを掛けるのと掛けないのでは相手への負担やダメージが大違いだろうから。

何より自分のせいで支えてくれる人を船幽霊にして自分のような苦しみを味わってほしくない、というのも私という船幽霊の本音なので。

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