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Sビダルフ著『男の子って どうしてこうなの?』

自分を男だと認識している人がこの本を手にとることがあるか疑問だが、私が読んだ印象では親か彼らをサポートする立場の人たちに特に役に立ったのだろうと感じる。著者はオーストラリアの児童心理学者で家族セラピスト。改訂版も出ており日本でも30万部のベストセラーになったと記されているが、他のベストセラーもそうだったように、私の周辺でこの本が話題になったことはなく影響も感じたことはない。

私がこの本を読んで特によかったと感じたのは、「思春期に身体が急成長する期間は脳の回路の再設定が追いつかず、ぼーっとしていることが多いので、怒っても無駄」という表現を知れたことだ。(これは私の解釈で、実際はもっと生物学的に説明し、科学的に書かれています)

私には、歳が近いが今では身長が20センチ以上高いきょうだいがいて、彼が中学から高校にかけて母親が信じられないほど怒っていたり落ち込んでいたり感情を乱していたことを思い出す。

修学前の自分ときょうだいの映像を見ると、弟はとても小さく、生物学的にも守ってあげたくなる気持ちは今の私にも理解できる。身内でなくても、身体が小さくて弱々しい子を多くの人は贔屓しがちかもしれない。ただ、こどもの私には迷惑だった記憶がほとんどだ。幼少期には手がかかる子ほどカワイイといった感じで優先し、急成長して手に負えなくなるときょうだいのうち比較的安定してみえる子に頼りきりになるという感覚・・・

「こどもが複数集まる場でそのなかの一人を特別扱いすることはご法度、『ズルイ』という感情が芽生えて収拾がつかなくなる」と、聞いたことがあるし、体感したことがある人も多いと思う。年齢に関係なく、高齢者のグループでもそういったことは注意されているらしいので、こども心が強く出た場合の人間の本質なのだろうと私は考えている。ただ、私の実感では、こどもがワガママや本当の気持ちを表現できるのは親の役割をする人の状態が安定しているときだけ。

ジェンダーの議論が活発になっている新しい時代にどうしていったらよいのかという結論はまだでないが、私が今感じるのは、親もまた自分自身の人生が大事で、自分が可愛いのが普通であるということ。そしてまた、彼らをサポートする人たちにも自身のプライベートの周辺に守りたいものがあり、その中心にいる自分自身が一番大事であるのは当然と考え、机上の理想論や根性論にすがるのは時代に合わない、無理がでてきているのではないかということだ。

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